がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第65話 最初で最後

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみま

今日は、2016年2月の日記を読み返してみました。

 

2016年2月26日(金)の日記

・昨夜、Eが1時頃に帰宅した。鍵が見当たらず玄関先から電話をしてきたので、鍵を開けて私はそのまま寝てしまった。
・ママは一晩中眠れなかったらしい。過去からの私に対する “怒り” が次々と思い出されてしまい、朝まで一睡もできなかったらしい。
・4時ごろに私が起きた時に、そう言っていた。言われるだけの言動をしてきたのだから仕方がない。

 ※ E:娘のこと。

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子供たちが小さい時に遊んだ公園

〈2016年の2月

前年末の検査で、骨盤底の腫瘍が大きくなったことがわかり、1月はつくば市で初めての一人暮らしで「陽子線治療」を実施した妻でした。そして、2月は「樹状細胞ワクチン・リンパ球活性化治療」を開始したのでした。

妻とは1981年に出逢い、7年後の1988年に結婚しました。2016年は、出逢いから35年、結婚から28年が経過していました。夫婦喧嘩の記憶はほとんどありません。私は妻から怒りをぶつけられたことは、一度もありませんでした。2月26日の朝が初めてで、後にも先にもこの時だけでした。(内容は多岐に渡り山盛りでした)

私の日常生活が大変良くて・・・なんて事では、当然ですがありません。自己中の塊の私ですから、たくさんの不満や不快な思いをしていたのは確かです。
堪忍袋の大きさが特大だったのだと思います。

〈妻が残したもの〉 

妻から学んだことの中で一番の思い出は、「自分でしっかりと考えて決める」です。
妻は重要なことで岐路に立つと、自分で考えます。そして他者の意見を参考にしたり、自らの直観力も大切にしながら、考え抜いて決める生き方をしていました。

この生き方だと、うまくいかなかった時に他者の責任にすることはありません。やり直しの道を発見することも早めにできます。
うまくいった場合は、大きな喜びと自信を感じることができます。

妻は腹膜播種の治療でもこの生き方を実践していました。結婚生活も同様だったのではと思います。自分で選んだ相手だから、ある程度は覚悟していたのでしょう。多少のことは “仕方がない” と思って、暮らしてくれていたのだと思います。そんな妻に育てられた子供たちは、進学も就職も結婚もしっかりと自分で考えて決めていました。

                              

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第66話は

 〈発熱が続く日々〉

を2022年4月9日(土)に予定しています。