がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第62話 腹膜播種の拡大

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2015年11月の日記を読み返してみました。

 

2015年11月28日(土)の日記

・J大付属練馬病院でCT検査の結果を聞いた。
・腹膜内(骨盤底付近)に播種した腫瘍は、肝臓の手術前は約3cmだったが、今回の検査で約4cmに拡大していた。
・今後は抗がん剤治療になるとのことだが、副作用のことを考えてしまう。
抗がん剤の効果があり予後が延びたとしても、生活の質が低下するのは困る。だからと言って、生活の質が保たれても予後が短くなってしまうのも困る。
・人が生きるとはどういうことなのか。①生きる時間は長いが、苦しみを伴う。②苦しみを伴わないが、生きる時間は短い。③苦しみを伴い、生きる時間も短い。④苦しみを伴わず、生きる時間も長い。
・④が最も望ましい。逆に③は最も困る。①と②はバランスが大切だ。良く考えなければ・・・

・ママの希望に合わせながら、代替療法などの勉強をして実践していこう。
・当たり前ののことに幸せを感じる。

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ハート型のティー(有栖川公園付近のカフェ)

〈2015年の11月

主治医のM医師からは、抗がん剤治療の説明を受けました。2010年の大腸がんの手術後と2012年に転移した卵巣の手術後に抗がん剤治療を実施しましたが、副作用が強かったこともあり、抗がん剤治療を実施する気持ちは少なかったと記憶しています。西洋医学の基本(標準治療)は手術と抗がん剤放射線です。腹膜播種になると抗がん剤が治療の中心とのことでした。

この頃、患者家族である私はいろいろな事を考えました。私にとって生きることの価値観の輪郭がはっきりとするようになってきました。この頃の想いは、その後の私の生き方に影響したと思います。

パラリンピック選手の言葉〉 
先日ラジオからパラリンピック2020に出場した選手の話が流れていました。選手名は聞き逃してしまいましたが、事故で片足を失ってしまったのだそうです。足を失った翌朝の病院で「片足を失った自分にできることは何か」を考えたそうです。

すごい言葉だと思います。精神だと思います。同じ人間なのに、事故の翌日の朝にこんなことを考えることができる人がいるなんて。

妻が亡くなりひとりになった私ですが「ひとりになった自分にできることは何か」を考えて、このパラリンピック選手を見習って生きていきたいと思います。

                              

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第63話は

 〈新たな治療に挑戦〉

を2022年3月30日(水)に予定しています。