第64話 妻の一人暮らし
〈がん患者の家族の体験記〉
このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。
今日は、2016年1月の日記を読み返してみました。
2016年1月3日(日)の日記
・ママをつくば市の短期滞在用のアパートへ送ってきた。203号室。古いタイプのアパートだが日当たりは良く、たばこ臭も少なくて良かった。
・ママは体調がすぐれない様子で、お昼ご飯を食べた後「胃がムカムカしてお腹の調子が悪い」と言っていた。風邪を移してしまったのではないかと心配と反省をした。
・人生初の一人暮らしと陽子線治療の効果などについて、不安が重なっているのではないかと気になってしまう。
・陽子線治療の効果がたくさんあります様に・・・
〈2016年の1月〉
このお正月、妻は53歳でした。人生で初めての一人暮らしでした。陽子線治療を受ける患者さん達は、入院ではなく自宅から通院するか病院近くに短期滞在用アパートを借りて通院していました。陽子線治療は、20日間で20回の照射をします。
12月末に実施した5回は、駅前のビジネスホテルに宿泊してバスで通院しました。年が明け残りの15回は、病院近くのアパートを借りて徒歩で通院しました。
治療効果を高くするために抗がん剤治療を併せて実施しましたが、副作用が強く10日間で抗がん剤は中止しました。
下痢の症状が強くなりとてもつらかった様子でした。何度かアパートにお見舞いに行きました。テレビで “茨城県と言えば坂東太郎のうどん” と言っていたのを思い出し、お土産に持参したのですが “コシの強いうどん” のようで、持ち帰ったことを覚えています。
〈普通や常識の落とし穴〉
日常生活の中で「ふつう〇〇だよね~」とか「そんなの常識だよな~」などの言葉を口にすることがあります。下痢で苦しみながら頑張っている妻に、うどんなら柔らかいだろうと考えて持参したのですが、訪ねてみたら何も食べられない状態でした。
手ぶらで訪ねて、必要な生活用品や食べられそうな希望の品を聞いて、買い物に行けば妻の役に立てただろうと帰りの車の中で反省しました。
自分が思う “ふつう” や “常識” は、自分が繰り返し体験してきた日常の範囲の中から作られているのだと思います。だから、異なる体験をしてきた人や、一時的に特別な状態にいる人との間で、時として心のすれ違いが起きるのかもしれません。
豊かな想像力を持てる人になりたいと思います。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
・次回の家族日記/第65話は
〈最初で最後〉
を2022年4月6日(水)に予定しています。