がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第105話 妻の宣言

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2019年6月の日記を読み返してみました。

 

2019年6月17日(月)の日記

・朝から心配な気持ちを抱きながら出勤した。
・会社帰りに大宮にあるN病院を訪ねた。小さな母がベッドに縛られたて横になっていた。とても不安そうな顔をしていた。
・自宅に帰るとママも昼間から体調が悪かったとのこと。訪問してくれた看護師さんにお願いをしてT先生に往診してもらったとのこと。腸の動きが悪い様に感じたらしい。私には連絡なし。母の事で気を使わせてしまったのだろうか・・・
・試練の日が続いている。

 ※ N病院:数日前に母親が入院した救急病院のこと。

地上で何があっても雲の上は晴天

〈2019年の6

6日(木)は、J大付属練馬病院へ行きました。妻は、帰りの車の中で「もうJ大付属練馬病院には来ない。自宅で訪問診療と訪問看護を続けて、次に異変があれば市内の緩和病院へ入院する」と言いました。
9日(日)は、妻と自宅近くのフランス料理の店へ行きました。つつじがきれいに咲いていたので、私はほんの少しだけ遠回りをしました。ところが妻は涙を流しながら「ごめんね。瞼をあいていられないの」と言っていました。
12日(水)は、母が救急車で施設から病院へ搬送されました。横たわる母へ声をかけるのですが、小さくうなずく程度でした。

心の苦しい6月だったことを想い出します。

〈妻の宣言

妻は高い発熱と体調不良でつらい日々を過ごしていました。週に3回の看護師さんの訪問と2週に1回の先生の訪問を続けていました。妻は先生や看護師さんと話をしていたようで、トイレまで歩いていけなくなったらプロの方の手を借りたいので緩和病院へ行くと言いました。この頃トイレに行く時は、介護ベッドからトイレまで私が付き添っていました。いつまでも付き添いたいと思っていましたが、ある時先生に「寝たままになった場合のトイレサポートは、身内よりプロの方が良いという患者さんが多いですよ」と言われたことがあります。私は自分の気持ちを満足させるために行動していたのかもしれません。

また妻は「東京オリンピック2020の開会式を見る」と宣言しました。そして、その目標を掲げたら少しだけ気力が出たとも言っていました。トキメキを大切にする妻らしい宣言でした。

何があっても前向きな妻を私は大好きです。

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第106話は

 〈さよならの日〉

を2022年8月27日(土)を予定しています。