がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第107話 ひとりの暮らし

〈がん患者の家族の体験記〉

今日は最終回です。2010年12月から2019年7月までの9年。妻は大腸がんの患者として生き抜きました。そして私はがん患者の家族として生きました。このブログは、その当時の出来事や心に抱いていた事などを振り返った回顧録です。

人生初のブログでしたが、とてもたくさんお読みいただき感謝しております。2021年6月から週に2回のペースで書き込みをしてきました。書くことで色々な出来事を想い出すことができ、妻への想いを深めたり、自分の至らない部分を反省しました。

それらの想いや反省を、これからの私の時間に活かして過ごしたいと思っています。

2019年8月3日(土)の日記

・今日は「告別式」だった。
・会場に向かう道の脇にある畑には、真っ青な夏空の下でトウモロコシが元気よく育っていた。ママと家庭菜園でトウモロコシを育て、夏の暑い日に一緒に食べた事を想い出した。
・暑い夏にトウモロコシ畑を見ると、今日の事を想い出すのだろうか・・・
・昨夜の通夜は100人を超える方々が参列してくれた。そして今日の告別式も暑い中を同じくらいの方々が参列してくれた。感謝の心で一杯だ。
・ママはたくさんの人に愛されていたのだ。

永い間一緒にいてくれて “ありがとう” (家族で行った夜の公園)

〈あっという間の2019年/夏

7月27日に妻は虚空へ旅立ちました。悲しい気持ちの自分と妙に落ち着いた自分が同じ身体に同居していました。すぐにしなければならなかった事は、病院を出る手続きと葬儀の準備でした。葬儀の日が8月2日~3日となり1週間ほどの時間がありました。この間、子供たちが交代で里帰りしてくれたのでとても心強かったです。

施設で暮らす義父母に妻(つまり娘)が亡くなったことを伝えました。施設の方と相談をして施設内の静かな場所で話しました。また高齢で葬儀に参列できないため、事前に安置されているお寺で “お別れ会” をしました。とてもつらい時間でした。

葬儀の後は忙しい日々が続きました。私は家のことを何も知らない“依存型亭主”でしたので、炊事や洗濯・ゴミ捨てなどの日常の家事はどのようにやるのか、預貯金や保険、様々な支払いはどうするのかなど何も分かりませんでした。

これらの事に追われ、あっという間に2019年の夏は過ぎ、季節は秋になりました。

〈淋しさの谷の脇道を歩く日々

2019年の秋以降は、油断をすると “淋しさの谷” に落ちそうになりました。そんな深い谷の脇にある細い道を、谷底に落ちない様に注意しながら今も歩き続けています。
2020年7月に定年退職を迎えました。ひとりで迎える定年は、ゴールしても迎えてくれる人が誰もいない様な感じです。私の場合は、息子と娘の家族が寄り添ってくれたので、谷底へ滑落せずに進む事ができました。

私は、淋しさの谷へ落ちないために「定年後こそ現役時代」と考える様にしています。会社時代は「経験時代」であり、たくさんの人や社会から愛情や恩恵を受けて生きてきました。これからの時間こそが「現役時代」であり、ひとりでも多くの人に生きる喜びや希望を渡せる様な活動をしたいと思って過ごしています。

何が起きるかわからない時代ですが、男性の健康寿命72歳から計算すると、私の健康余命はあと10年です。 “淋しさの谷” へ落ちない様に気を引き締めて、これからの10年間を「現役時代」と思い、妻を見習ってトキメキを感じながら感謝の日々を過ごしたいと思っています。

そしてぜひ、妻と再会したいと思います。

 

妻へ

 「ありがとう」

 

                               

これまでお読みいただき感謝しております。

 ありがとうございました。

 

第106話 さよならの日

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2019年7月の日記を読み返してみました。

 

2019年7月27日(土)の日記

・夕方EがYくんと病院に来た。ベッドで横になっているママにYくんを紹介するとママはYくんの手を握り微笑んでいた。
・ママは語ることも少なくなり、午後になると計測器がセットされた。
・夜になって眠りにつくと一定のリズムで呼吸をしていて安心していたが、22時20分頃に静かに眠りについた。

 ※ E:娘のこと。Yくん:娘の彼氏のこと。

“ひまわり”は私の中で生き続ける妻

〈2019年の7

7月25日(木)、腸閉そくの治療のためJ大付属練馬病院へ入院しました。

7月26日(金)、息子とお嫁さんと孫がお見舞いに来てくれました。本来は2日後の日曜日に来る予定でしたが、孫が保育園を早退した事と台風が接近していた事もあり前倒しで来てくれました。妻はうれしそうに孫の足をさすりながら微笑んでいました。

7月27日(土)、娘が付き合っている彼氏と一緒にお見舞いに来てくれました。そして妻に紹介しました。妻は安心した顔をして微笑んでいました。ふたりは先日、入籍しました。

私は病院の近くにあるホテルに泊まっていたのですが、27日(土)はM先生が病室にベッドをひとつ用意してくれたので、息子と娘と一緒に妻のことを見守っていました。静かに呼吸を繰り返し穏やかな、いつものように優しい顔をしていました。気がつくとベッドの横にあったモニターが静かに平らになりました。

「長い間ご苦労様、頑張ったね。そして、ありがとう」

〈妻の一生

妻は19歳の時に私と出逢い57歳でこの世を去りましたました。38年間を一緒に過ごしました。私は妻と出逢ったことでとても幸せでした。妻を亡くした今も妻との日々を思い出すと幸せです。妻の面影のある子供たちが新しい家族を作り、幸せに暮らしているのを見るとさらに幸せを感じます。

妻はとても親切な人でした。小さなことに幸せを感じている人でした。自分勝手な私との38年の暮らしの間には、嫌な思いを感じさせた出来事が山ほどあったと思います。妻は幸せだったのだろうかという不安を感じています。私にとって妻は、ひまわりの様な存在でした。私はそんな妻を想いながら日々を過ごしています。

妻の一生が「私も幸せだったよ」と思ってくれることを祈りながら・・・

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第107話は

 〈ひとりの暮らし〉

を2022年8月31日(水)を予定しています。

第105話 妻の宣言

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2019年6月の日記を読み返してみました。

 

2019年6月17日(月)の日記

・朝から心配な気持ちを抱きながら出勤した。
・会社帰りに大宮にあるN病院を訪ねた。小さな母がベッドに縛られたて横になっていた。とても不安そうな顔をしていた。
・自宅に帰るとママも昼間から体調が悪かったとのこと。訪問してくれた看護師さんにお願いをしてT先生に往診してもらったとのこと。腸の動きが悪い様に感じたらしい。私には連絡なし。母の事で気を使わせてしまったのだろうか・・・
・試練の日が続いている。

 ※ N病院:数日前に母親が入院した救急病院のこと。

地上で何があっても雲の上は晴天

〈2019年の6

6日(木)は、J大付属練馬病院へ行きました。妻は、帰りの車の中で「もうJ大付属練馬病院には来ない。自宅で訪問診療と訪問看護を続けて、次に異変があれば市内の緩和病院へ入院する」と言いました。
9日(日)は、妻と自宅近くのフランス料理の店へ行きました。つつじがきれいに咲いていたので、私はほんの少しだけ遠回りをしました。ところが妻は涙を流しながら「ごめんね。瞼をあいていられないの」と言っていました。
12日(水)は、母が救急車で施設から病院へ搬送されました。横たわる母へ声をかけるのですが、小さくうなずく程度でした。

心の苦しい6月だったことを想い出します。

〈妻の宣言

妻は高い発熱と体調不良でつらい日々を過ごしていました。週に3回の看護師さんの訪問と2週に1回の先生の訪問を続けていました。妻は先生や看護師さんと話をしていたようで、トイレまで歩いていけなくなったらプロの方の手を借りたいので緩和病院へ行くと言いました。この頃トイレに行く時は、介護ベッドからトイレまで私が付き添っていました。いつまでも付き添いたいと思っていましたが、ある時先生に「寝たままになった場合のトイレサポートは、身内よりプロの方が良いという患者さんが多いですよ」と言われたことがあります。私は自分の気持ちを満足させるために行動していたのかもしれません。

また妻は「東京オリンピック2020の開会式を見る」と宣言しました。そして、その目標を掲げたら少しだけ気力が出たとも言っていました。トキメキを大切にする妻らしい宣言でした。

何があっても前向きな妻を私は大好きです。

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第106話は

 〈さよならの日〉

を2022年8月27日(土)を予定しています。

第104話 最強の処方箋

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2019年5月の日記を読み返してみました。

 

2019年5月11日(土)の日記

・母の日の前日ということで、Mくんファミリーが訪ねて来てくれた。Mくんは先週も会ったがまたまた大きく成長していて可愛さ倍増だ。
カーネーションとアルバムとメッセージを届けてくれ、ママは感激して涙を流していた。
・午前中は、訪問美容師さんに髪を切ってもらいサッパリして、夕方からはMくんファミリーのおかげでうっとりしていた。

 ※ Mくんファミリー:Mくんは孫のことで、Mファミリーは孫家族のこと。

庭に咲くユリの花

〈2019年の5

5月1日から元号が「令和」に変わりましたが、私たち夫婦の不安を抱きながらの日々は変わることなく続いていました。この頃の妻は、午後になると体温が38°を超える事がありました。
4日(土)は就職して一人暮らしをしている娘が泊まりに来てくれました。妻と長い時間楽しそうに話をしていました。5日(日)は息子家族も訪ねてくれました。生後9か月の孫を見ながら、皆で母の日と子供の日と私たち夫婦の結婚記念日を祝ってくれました。息子家族は11日(土)にも訪ねてくれました。

色々な治療で身体を整えながら9年間を過ごしてきました。病気になると身体だけではなく心の調子を崩すこともあります。心の調子を整える最高の治療は “家族とのひと時” だと思います。そんなことを痛感しながら、毎日を大切に過ごす5月でした。

〈健やかであること

健康診断や検査の結果を見聞きする時に、標準値以外の数値がないと安心します。その逆に標準値以外の数値があると心配します。私はできるだけ一喜一憂せずに受け止めようと心がけてきましたが、実際には気にしていたと思います。身体の状態を示す数値に心を奪われ過ぎず、平常心の気持ちでいる事を “健やか” というのだと思います。

日々を健やかに過ごせる自分になれる様に暮らしていきたいと思います。

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第105話は

 〈妻の宣言〉

を2022年8月24日(水)を予定しています。

第103話 最期のお花見

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2019年4月の日記を読み返してみました。

 

2019年4月7日(日)の日記

・風もなく暖かだ。柳瀬川の桜が満開の一日だ。
・ママと一緒に昔なら散歩で行った柳瀬川へ、今日は車でお花見に行った。
・イスとテーブルを置き、コンビニで購入したおにぎりとお茶でランチを楽しんだ。
・穏やかに時が流れていく “いま” に幸せを感じる。
・ママはくたびれたのか、ふくらはぎが筋肉痛でお腹の具合も良くないと言って夕食は食べないで過ごした。良くなってほしい。

イスから一緒に眺めた“柳瀬川の桜”

〈2019年の4

4月5日は、母が入居する施設を訪ねました。車いすの母と一緒に施設の庭に咲く桜を眺めました。母は「今年も桜を見ることができて幸せだ」と言っていました。そして7月11日に永眠しました。

4月7日は、妻と自宅近くの柳瀬川を訪ねました。歩くのがつらそうな妻でしたがゆっくりと歩いて、持って行ったキャンプ用の椅子に座り、一緒に桜の花を眺めました。妻はとても優しい顔をして、きれいな桜と周りで楽しそうにお花見をする家族連れを見つめていました。そして7月27日に永眠しました。

私を育ててくれた母、私を支えてくれた妻。一緒に桜の花を眺めた春でした。

〈大切な瞬間

この春の日のひと時を過ごしている時は“これが最期の時”とは思っていませんでした。今となってみると最期の時となってしまいましたが、母や妻と過ごしたお花見のひと時を、穏やかな気持ちで大切に過ごすことができて良かったと思っています。コロナ予防で人と会うことを控える日々ですが、人と一緒に過ごす時間は “大切な瞬間” だと思って過ごす様にしていきたいと思います。

一期一会の言葉を胸に秘めて・・・

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第104話は

 〈最強の処方箋〉

を2022年8月20日(土)を予定しています。

第102話 夫婦の病気

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2019年3月の日記を読み返してみました。

 

2019年3月12日(火)の日記

・ママが病気になっていなかったら、私は仕事に追われる日々を続け持病の心臓の病気などが悪化して、死亡していたか家庭を壊していたかもしれない。
・ママの病気は、私の仕事のやり方と生き方を大きく変えた。変わった事で、今も家族と共に暮らせている。私はママに救われたのだ。

障子に残る孫があけた穴(2019年3月10日)

〈2019年の3

私は、34歳の時と44歳の時に肥大性心筋症で入院したことがあります。また39歳の時に後縦靭帯骨化症という病気であることを知りました。忙しい職場でしたので身体や心に負担をかけていたのだと思います。まわりの皆が同じ様にしていたので、そんな生活を普通だと思って過ごしていました。入院をしたり病気であることを知った後も、仕事優先の忙しい生活は続いていました。

妻は、私が50歳の時に大腸がんと診断されました。妻は48歳でした。この時から私の日常生活は、仕事優先から家庭優先へ変わり始めました。

もしも、あのまま仕事優先の暮らし方を続けていたら、私自身の健康は悪化していたかもしれません。実際、2021年に脳梗塞を発症していたことを知りました。

妻は自らが病気になることで、私の生活習慣を変えてくれたのかもしれません。

〈一日一生

私は2004年から日記を書いてきました。18年間、書いていることになります。この「がん患者の家族日記」というブログは、私ががん患者の家族として過ごした2010年12月から2019年7月迄の日記を読み返し、当時の気持ちなどを書いています。あと少しで最終回となりますが、9年間を振り返ることで妻への想いや家族への想いを深める事ができ、淋しさを乗り越える支えになっています。

朝を迎えられることに奇跡を感じ、その日の出逢いを大切にして過ごします。そして、夜を迎えることに感謝をしたいと思います。一日を一生と思いながら・・・

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第103話は

 〈最期のお花見〉

を2022年8月17日(水)を予定しています。

第101話 夫婦

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2019年2月の日記を読み返してみました。

 

2019年2月19日(火)の日記

・ママと私は仲の良い夫婦かもしれないが、考え方などが違う部分もある。
・それが原因で、お互いにイライラすることは少なくないと思う。
・ママも同じ様に思っていることだと思う。私以上に思っているかもしれない。
・それでも仲良く暮らしていられるのはなぜか・・・
・細かな考え方の違いはあるが、基盤となる大切な考え方が一緒だからだと思う。
・家族を大切にする。相手を思いやる。これは共通の考え方だ。

夫が妻の写真に語りかける写真館(映画「あなたへ」)

〈2019年の2

私が21歳、妻が19歳の時にふたりは出会いました。そして7年後に結婚しました。2019年は、ふたりが一緒に暮らす様になって31年が経過した頃です。前半は子育ての時期、中盤は共働きの時期、この頃は老親の介護の時期でした。
育ってきた環境が違いますから、日常生活を送る中で考え方が違うことはありました。妻は私の言動に驚いたり呆れたりしたことが、何度もあったと思います。それでも幸せを感じながら暮らすことができました。妻の辛抱強さに感謝しています。

我が家は4人家族でした。妻と私は「家族の身体や心を大切にする」という事と「家族同士、お互いの悪い所を口にしたり責めたりしない」という点で共通していました。

そのおかげで、いつも仲良し家族で過ごせたのだと思っています。

〈家族理念

会社に経営理念があるように、家庭にも家族が最も大切に思い続けるような共通の考え方があるのかもしれません。妻は家族の身体を気遣ってくれていました。食事は手料理でしたし、おやつは手作りでした。また妻は子供たちの考えに耳を傾けていました。例えば進学や就職などについて、アドバイスはしますが反対はしませんでした。さらに妻は子供たちの前で山ほどある私の良くない点を口にすることはありませんでした。

私の平日は、子供たちが起きる前に出勤して夜遅く帰宅する日々でした。週末は、家族で海や山に出かけるのですが、趣味は「家族」だと思っていました。

人はそれぞれ好きな食べ物や趣味などは違っています。違っていても、楽しく食べることを大切だと考えたり、お互いの趣味を尊重すれば、楽しい時間を一緒に過ごせるのだろうと思います。

夫婦のパターンとして「背を向けあう夫婦」や「向き合う夫婦」がありますが、「同じ未来の方を向く夫婦」というのもあるのではと思っています。手をつなぎながら・・・

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第102話は

 〈夫婦の病気〉

を2022年8月13日(土)を予定しています。