がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第15話 がん手術から1年

〈がん患者の家族の体験記〉

2021年10月6日です。今日は2011年12月を振り返ってみました。

このBLOGは2010年から19年迄の9年間、横行結腸がん・卵巣転移・腹膜播種・肝臓転移・腸閉塞でも前向きに生き抜いた妻と家族の日記です。

その当時に書いた日記を読み返しながら、患者家族の当時の気持ちを書いてみました。

 

2011年12月14日(水)の日記

・出会いがあれば必ず別れがある。出会いの数と別れの数は一緒である。出会いは、たくさんの幸せを与えてくれる。友達・仲間・恋人・夫婦・親・子供など。
出会いの数だけ幸せがあり、出会いの数だけ別れもある。

・出会う時には、別れる時の覚悟が必要である。出会ってから別れの時までの時間を大事に生きることが大切だ。

 

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道道路と西屋敷通りの分かれ道を流れる野火止用水


〈不安と感謝の連続

2010年12月に横行結腸にできたがんの手術をしてから、1年を迎えていました。抗がん剤治療を途中で中止しましたので、再発や転移の不安がありましたが、何事もなく過ごすことができ感謝の気持ちでいっぱいでした。不安な気持ちと感謝の気持ちは、9年間を通じて変わらず心の中にありました。

そんな気持ちがあったので、前出のような日記を書いていたのかもしれません。

 

〈完治と共存と緩和〉 

いつも、目の前のことに必死だった記憶しかありません。しかし、この期間を振り返ることができる様になったいま、気づいたことがあります。9年というこの期間は、病状の変化にあわせ大きな3つの方針に基づいていたということです。

最初の横行結腸がんの手術を実施した2010年から、転移した卵巣がんの手術を実施し腹膜播種が判明する前年(2014年)までは「完治する」ことを目指していました。

そして腹膜播種が判明したものの、転移した肝臓がんの手術を実施した2015年からは「共存する」ことを目指していました。(腹膜内に播種したがんがある場合は、開腹手術はしないのが標準らしいです)

さらに、がんの影響で腸閉塞などの症状が出るようになった2018年以降は「緩和する」ことを目指していました。

今日は「目指していました」などと表現していますが、その当時は患者家族の初心者である私としては、その時々の目の前で起きることに必死でした。
がんという病気は、患者本人はもちろんですが、患者家族にとっても様々なことに向き合っていく病気だと思います。

これらのことをお伝えしたいというのが、このBLOGをはじめた理由です。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

次回の家族日記は
 〈不便と不幸〉
を10月9日(土)に予定しています。