がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第83話 正反対な願い

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2017年8月の日記を読み返してみました。

 

2017年8月10日(木)の日記

・ママとお墓参りに行った。帰りにおじいちゃんのお見舞いにJ大付属練馬病院へ。
・夜、練馬のおばあちゃんから電話。
・一人暮らしの不安と不満をママに伝えていた。そして、おばあちゃんはママに向かって「生きていたくない」と言ったらしい。
・一日でも長く生きたいと一生懸命に過ごし、今回のおじいちゃんの入院で精一杯の親孝行をしているママに聞かせる言葉ではないと思う。
・ママを受け止めたいと思うが空回りするダメな自分がいる。

庭で見かけた夏の日の蝶

〈2017年の8

この年の夏は、義父が脳梗塞で入院したため、視覚障害のある義母は一人暮らしを続けていました。我が家に来るように伝えましたが、間取りの異なる家に住むのは不安との理由で断られました。今思えば私への遠慮と気を使う生活が嫌だったのだと思います。

義母の日常は、ヘルパーさんのおかげで食事や買い物、掃除などの家事は何とかなりました。妻は毎日の様に電話で話を聞いていました。息子と娘も義母の元を訪ねたりしていました。しかし淋しさや不安を拭い去ることができなかったのだと思います。

一方で義父の施設探しに私と妻は精を出していました。J大付属練馬病院での治療後は、リハビリ病院探しでした。そして老健探しと特養探しに明け暮れていました。

もちろん妻の腹膜播種を遅らせるための治療と定期的な経過観察は継続していました。こうして当時の日記を読み直してみると、この頃は色々なことが重なった時期だったことが思い出されます。

〈死にたいと生きたい

義母は、障害と高齢と一人暮らしの環境のなかで過ごすうちに「死にたい」と口にしました。私の母も、病気と高齢と一人暮らしを続けるうちに同じ言葉を口にする時がありました。そんな時には、死にたいなんて口にしてはいけないと応えていた様に思います。私は義母と母が抱える“老いに対する不安”を深く理解することができていなかったと思います。二人の心に寄添うことが不足していたのだと思います。

妻は、一日でも長く生きたいと思って必死の努力を続けていました。私も少しでも長く一緒に過ごしたいと思い一生懸命に行動をしました。しかし、私の行動が妻に新たな不安や心の負担を抱かせることになったこともありました。

まったく正反対な願いを抱く人の間にいた私は、相手の言葉に対してしっかりと答えを出したり、聞いたことを解決するための行動をしたり・・・をしていました。
これらのことは決して悪いことではないと思います。しかしもうひとつ大切なことは、気持ちをしっかりと受け止めることだと思いました。ただ相手の話を聞き続けること。答えを述べたり解決するための行動したりするのではなく、静かに話を聞くということ。
これが、当時の私に不足していたことだと反省しています。

                              


お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第84話は

 〈がんフォーラム〉

を2022年6月11日(土)を予定しています。