がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第82話 義父倒れる

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2017年7月の日記を読み返してみました。

 

2017年7月29日(土)の日記

・早朝、練馬のおばあちゃんから電話。おじいちゃんがトイレで倒れたとの事。
・救急車を呼んでもらい我々も車で搬送先のJ大付属練馬病院へ向かう。
・救急外来でCT、心臓、血液等の検査の結果、脱水症状および反射失神の診断。
・病院内のコーヒーショップで、おじいちゃんとママと3人で軽食と休憩。
・その時に、肘掛けの左手が何度か脱落する。練馬宅へ向かう車の中で、車外の景色に見覚えがないと言う。練馬宅に着いても景色に記憶がないと言う。歩行もうまくできない状態。
・ケアマネのTさんが駆けつけてくれる。J大付属練馬病院に電話をして再訪した。
脳梗塞と言われ即入院。さて、この状況をどう乗り越えるか・・・

小川のせせらぎ(自宅近くの風景)

〈2017年の7

土曜日の朝の1本の電話から新しい試練が始まりました。妻の父はこの時84歳でした。妻は入院することになった父親と一人暮らしとなった母親のことを心配していました。義父と義母は同じ年で、二人には視覚障害がありました。支えあいながら暮らしていた二人ですから、一人暮らしになると日常生活の不便と不安は大きくなりました。
この頃の妻の病状は腹膜播種が増大していました。私としては妻と妻の両親の身体と心の調子を保つことに必死でした。また埼玉の老健で暮らす私の母のことも気がかりでした。しかし、良かったこともあります。息子夫婦と娘達も同じ気持ちでワンチームになることができたことです。和の力は困難を乗り越えるのに必要なことだと思います。

〈両親のために頑張った妻

義父はJ大付属練馬病院での入院治療を終えるとリハビリ病院に転院しました。この時に脳の病気の怖さを学びました。穏やかだった義父が、時々乱暴な発言をする様になったり、半身に支障が残り歩行も困難になりました。自宅へ戻った時の義母の負担を考え義父は自宅ではなく老健施設で暮らすことになりました。そして翌年には終身の入居が可能な特養施設へ移りました。義母も一人暮らしを頑張りましたが、2019年に義父と同じ特養施設へ入居しました。二人の個室は別々ですが同じフロアーの程よい距離で今も一緒に生活をしています。

妻と私は、病院や自宅で過ごす二人の応援に加え、施設探しでは練馬区内の多くの施設を訪問したと思います。結果的には二人一緒の素晴らしい施設で暮らすことができ妻は安心した事だと思います。

                              


お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第83話は

 〈正反対な願い〉

を2022年6月8日(水)を予定しています。