がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第19話 10年後のわたしへ

〈がん患者の家族の体験記〉

2021年10月20日です。今日は、2012年4月を振り返ってみました。

このBLOGは、2010年~2019年までの9年間、横行結腸がん・卵巣転移・腹膜播種・肝臓転移・腸閉塞でも前向きに生き抜いた妻と家族の日記です。

その当時に書いた日記を読み返しながら、患者家族の当時の気持ちを書いてみました。

 

2012年4月26日(木)の日記

・ママが10年前に第七小学校に勤めていた時に「10年後のわたしへ」手紙を書くという催しがあり、今日その手紙が届いた。その内容を見て心が暖かくなり、自然と涙が流れた。家族のことを心から心配してくれていて感動してしまった。

・ママのおかげで私は幸せである。愛されていることが、何と幸せなことか・・・

  ※ 10年後のわたしへ:2002年に全校生徒および教職員が、10年後の自分宛  
    に書いた手紙を学校で保管し、10年後の2012年に届けられた手紙。

 

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妻の書いた “10年後のわたしへ”


〈2012年の4月

4月を迎え桜の季節となりました。この頃の日記には、大学生になった娘の学園生活についてや、この4年後に結婚することになった彼女を、息子が紹介してくれたことなどが書かれていました。
2010年12月に手術をした妻は、2011年2月から職場復帰をしました。そしてこの4月から新しい小学校へ異動し楽しく過ごしていました。

そんな中、10年前に勤めていた小学校の催しの〈10年後の自分宛てに書いた手紙〉が届きました。
妻は、がんになるとは夢にも思っていなかったことだと思います。
ふたりの子供は、なりたい仕事は変わっていましたが夢に向かって進んでいました。
昔からの持病で “後縦靭帯骨化症” と “心臓肥大” という病気が私にはありました。妻は自分のことではなく、そんな私を長い間心配してくれていました。

家族のことを大切に想ってくれていた妻に感謝しています。

 

〈しあわせは “なる” より “感じる” もの〉 

最近、こんなことを思っています。

 「幸せ」は “なるもの” ではなくて “感じるもの”である。

幸せという美しい花で埋め尽くされた花畑が、この道の先にあって、そこに行かないと幸せに “なる” ことができないとしたら、花畑まで行くことが難しい人=例えば余命宣告を聞かされた人など=は、時間が足りなくて幸せになれないことになってしまいます。

幸せの花はあぜ道に咲くタンポポの様に、足元のこの道に咲いているのだと思います。このタンポポの美しさを “感じる” ことが幸せなことなのだと思います。だから、いまを生きている誰でもが、幸せに過ごせるのだと思います。

9年の間には、完治を目指す時期、共存する時期、そして緩和の時期がありました。
これらの時間を過ごした私達家族ですが、幸せを感じる瞬間がたくさんありました。

私の10年後は71歳になっているはずです。それまでの日々の暮らしには、いろいろなことがあると思います。

道端に咲くタンポポの美しさをしっかりと “感じる” 日々を重ねていきたいと思います。

 

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

 次回の家族日記は
 〈一期一会〉

を10月23日(土)に予定しています。