がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第18話 病院はいつも二人で

〈がん患者の家族の体験記〉

2021年10月16日です。今日は、2012年3月を振り返ってみました。

このBLOGは、2010年~2019年までの9年間、横行結腸がん・卵巣転移・腹膜播種・肝臓転移・腸閉塞でも前向きに生き抜いた妻と家族の日記です。

その当時に書いた日記を読み返しながら、患者家族の当時の気持ちを書いてみました。

 

2012年3月9日(金)の日記

・今日は会社を休んだ。午前中は、ママと一緒にF病院に行った。検査結果は「異常なし」で順調とのこと、大いに安心した。

・午後は、Eと一緒に大学の学費を振り込んだ。そして武蔵野温泉に行った。

・夜は、家族全員でモダンパスタに行き、ママの検査結果を共有した。

  ※ E:高校卒業直前の娘

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聖橋から一緒に眺めた “神田川


〈2012年の3月

穏やかな日々が続いていた頃でした。夫婦でJR主催の「千代田区散歩」に参加して、湯島聖堂や神田古書店街、半沢直樹の撮影に使用された学士会館や皇居内にある江戸城天守跡などを訪ねました。また、私の父の7回忌法要や妻の父の入退院、娘の高校卒業などがありました。

再発・転移を調べる定期検査もあり「異常なし」の結果を聞くことができました。

年度末のため仕事も忙しく過ごしていました。会社帰りに、職場の仲間と寄り道をして帰ることもあり、何事もない日々を過ごしていました。

 

〈ふたり一組での病院通い〉 

病院の待合所でがん患者と思われる方が、一人で受診されている姿をずいぶんと見かけました。私たちは病院に行く時は “二人” で行っていました。

二人で受診する理由は、2019年12月に「がん」を告げられた時の診察室での動揺を忘れられないからです。人は想定外の出来事に出逢ったとき動揺します。自分では、先生の話をしっかり聞いているつもりでも、聞き漏らしたり、間違えた解釈をしたりすることがあると思うからです。もちろん患者である妻の伴走者として、苦痛は代わることはできなくても、不安な気持ちを分かち合いたいと思ったからです。

 

生きていくうえで仕事をすることは必要なことで大切なことだと思います。しかし、家族が病気になったり介護が必要になったときは、一時的に仕事への携わり方を変えるのも一つだと思います。

家族にがん患者がいる方(=がん患者の家族)のなかには、看病のために職場の仲間に迷惑をかけることを理由に「退職を選択」する方がいるのだと聞きました。
9年間の「がん患者の家族」としての生活を振り返り “普通に勤務する” と “退職する” の二者択一ではなくて “助けてもらいながら短時間働く” という中間的な道があり、その選択が良いのではと強く思いました。

私の勤務していた会社には「仕事と介護の両立支援」に関する制度がありました。また勤続35年の間に12ヶ所の職場で、とても素晴らしい方々と仕事をさせてもらいました。会社の短時間勤務制度と職場の方々の助けを受けて9年間を過ごすことができました。定年退職後の今も、会社と助けてくれた仲間の皆さんにとても感謝しています。

もちろん、勤務時間や勤務場所、担当業務が変わるわけですから、給料が減ることや肩書を失うことは当然だと思います。そのような公正な環境に身を置くことができたから同じ会社で勤めを続けられたのだと思います。

「がん患者の家族日記」のなかでお伝えしたいことのひとつがこのことです。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

 次回の家族日記は
 〈10年後のわたしへ〉

を10月20日(水)に予定しています。