がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第9話 母の日のバーベキュー

〈がん患者の家族の体験記〉

今日は2021年9月9日です。今日は2011年5月を思い出してみました。

第9話は、8月28日掲載の予定でしたが、その日に交通事故に逢ってしまいました。体調が落ち着いたので本日から再び掲載を始めさせていただきます。
これからもよろしくお願いします。

このBLOGは2010年から19年迄の9年間、横行結腸がん・卵巣転移・腹膜播種・肝臓転移・腸閉塞でも前向きに生き抜いた妻と家族の日記です。

その当時に書いた日記を読み返しながら、患者家族の当時の気持ちを書いてみました。

 

2011年5月8日(日)の日記

今日は「母の日」だ。NとEのふたりは17時までアルバイト。
天気が良かったので庭でバーベキューをやることとなり、ママと買い出しに行った。

17時を過ぎて帰宅したふたり。
Nはきれいな花にメッセージを付けてママにプレゼント。Eは毎晩遅くまで描いていた絵をプレゼント。ふたりともすばらしい。

こんな二人に囲まれた我々夫婦は幸せである。

     ※ N:息子(当時21歳) E:娘(当時18歳)

 

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かわいい落とし物 「明日もここを通るかな」

 

〈通院はいつも二人一緒

2010年12月に、横行結腸がんの手術を受けて2011年1月に退院しました。

退院後は抗がん剤治療が続きましたが、副作用が強かったため先生と相談して5月8日に一旦中止することにしました。定期的な検査は継続して実施しました。思い出すのは検査結果を聞く時のドキドキです。前の患者さんが診察室を出て次は自分たちの番なのに、なかなか呼ばれない時など、何か良くない結果があるのではないかと心配したものです。そんな時のふたりの行動は、沈黙する時もありましたし、わざと別の話をしたりして過ごしていました。そして、診察室に呼ばれ検査結果が良いとわかるとホッとして帰りの車中は、本当に楽しい空間となりました。

私は妻が病院に行く時は、いつも会社を休んで一緒に行っていました。最初に先生からがんを伝えられた時の動揺を忘れられなかったからです。あの時は、一緒に聞いたにもかかわらず、とても動揺しました。これから先に、もしも一人で診察室を訪ねた妻が、再び驚くようなことを言われた場合を考えると仕事どころではないと思ったからです。

 

〈手術から5ケ月が過ぎて〉 

5月になって私たち家族の毎日に、以前のような日々のリズムが戻ってきました。
家族揃って私の実家や妻の実家を訪ね一緒に食事をしたり、庭でバーベキューをしたり穏やかで楽しい時間が流れていました。仕事や学校なども手術前と同じ様になっていました。

しかし、常に再発や転移の心配が頭から消えたことはありませんでした。
私の頭の中には、白い紙が1枚あって、片方の面には “生” という文字があり、もう片方の面には “死” という文字がありました。そして毎日、起きた時と寝る時に、“生” と書かれた面が表になっていることに安堵し、生かされていることを感謝していました。

 

                                   

 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

次回の家族日記は
〈わたしの病気〉
を15日(水)に予定しています。