がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第24話 腹膜播種と抗がん剤治療

 

〈がん患者の家族の体験記〉

2021年11月6日です。今日は、2012年9月を振り返ってみました。

このBLOGは、2010年~2019年までの9年間、横行結腸がん・卵巣転移・腹膜播種・肝臓転移・腸閉塞でも前向きに生き抜いた妻と家族の日記です。

その当時に書いた日記を読み返しながら、患者家族の当時の気持ちを書いてみました。

 

2012年9月1日(土)の日記

・卵巣の手術から30日目。

・J練馬病院へ行った。レントゲン検査と血液検査の結果に異状はなく大いに安心した。但し、ママが腰が痛いと伝えたことで、9月3日に「骨シンチ」という検査を行うこととなった。腰骨への転移がないか検査結果が心配である。安心が続きますように・・・

・Nは練馬宅に続き新宿宅を訪問し、老夫婦たちを見舞ってくれた。とても助かった。またEは、サークルから帰宅するとすぐにママのことを聞いてきた。みんなすばらしい。

 ※ N:息子、E:娘、練馬宅:妻の実家、新宿宅:私の実家のことです。

 

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昭和記念公園のコスモス

〈2012年の9月

腹膜播種があることを伝えられた私たちは、検査や治療をスムーズに実施できる様にするためセカンドオピニオンをおこない、すべての受診科があり、長期にわたり通院するのに便利なJ練馬病院へ移りました。そして、抗がん剤治療が開始されました。

消化器外科のM先生が主治医となりました。このM先生は、医師としての経験や知識や技術だけでなく、人としての優しさと厳しさのある先生でした。

転院した後の9月1日の診察時に、妻が腰が痛いことを伝えると、3日に骨シンチ検査を実施してくれました。そして検査結果ですが、次の診察日まで待つことなく6日の夜に「骨への転移はありませんでしたよ」と電話をくれました。私たちの不安な時間を少しでも短くするための電話だったのだと思います。我が家はちょうど夕食時で、家族みんなで万歳をしました。

9月18日は妻の誕生日です。妻の両親も参加して50歳の誕生日会を開催しました。そして20日の午後に、1回目の抗がん剤治療を実施するために入院をしました。そして24日に退院をしました。退院から数日後の29日にコスモスを見るため昭和記念公園へ行ったことが当時の日記に書かれていました。

 

〈真剣な中にも笑いあり〉 

患者の家族である私は、妻のことで精いっぱいの日々を過ごしていました。実はB医大で妻が手術をするために入院をしている頃から腹や背中に激痛を感じていました。その時私は「ママは2度目の手術に耐えている。この位の痛みは我慢しなければいけない」と思って我慢していました。しかし、あまりにも激痛が続くので病院へ行ったら「尿道結石」とのことでした。座薬をもらったのですが自分ではできず、子供たちに頼んだのですが美大生だった娘には断られ、薬学部に通う息子に処置してもらいました。
この時の私の頼む姿は、父としての威厳は皆無で理不尽この上ない頼み方だったと思います。そして、その依頼を押し付けあう二人のやり取りは、まるでコントの様でした。
今では笑い話ですが、妻の知らないところでこんなことが起きていました。

妙な精神論で頑張らないで、早めに病院へ行っておけば良かったと反省しています。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

 次回の家族日記は
 〈寄り添うことの難しさ〉

を11月10日(水)に予定しています。