がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第10話 わたしの病気

 

〈がん患者の家族の体験記〉

2021年9月15日です。今日は2011年6月を思い出してみました。

このBLOGは2010年から19年迄の9年間、横行結腸がん・卵巣転移・腹膜播種・肝臓転移・腸閉塞でも前向きに生き抜いた妻と家族の日記です。

その当時に書いた日記を読み返しながら、患者家族の当時の気持ちを書いてみました。

 

2011年6月17日(金)の日記

 ママの「手術後6ケ月検査」の結果がでた。
  =再発・転移はなし=
 とのことだった。良かった~。幸せである。

 毎日の “普通のでき事” が、どれほど “特別なでき事” なことなのかを強く感じる。
 これからも、ずっと元気でいてほしい。

 

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私自身がお世話になっている東大病院(文京区本郷)



〈家族それぞれの日常生活

手術から半年が過ぎて、担当医から再発と転移がないことを告げられて、家族みんなで安心し喜んだことを思い出します。先日閉会したパラリンピックで、接戦の末にメダルを獲得した時と似て、ハラハラの後の大感動といった感じでした。

妻は以前のように、小学校の事務の仕事と家事をする日常を取り戻しました。ふたりの子供たちは学校での生活を楽しみながら、息子は東北ボランティアに参加したり、娘はアルバイトをしたりしていました。自宅を離れることを控え地方への出張を控えていた私も、地方出張や東北の被災したお客様を訪問したりするようになっていました。

 

〈食事のバランスと病気の追加〉 

その頃、私自身も持病があり東大病院で経過観察のための診察を受けていました。

 ➀1994年⇒4歳だった息子を連れて、かかりつけの近くの診療所へ行きました。息子の診察後の先生との雑談時に「最近、胸が痛いときがあるんです」と伝えたところ心電図検査をしてくれました。すると心筋梗塞の波形があり、そのまま大きな病院へ行くこととなり即入院となってしましました。
カテーテルによる検査の結果「肥大性心筋症」という病気であることが判明しました。

 ②1995年⇒ その頃、近所に住んでいる職場の仲間と一緒に車通勤していたのですが、赤信号で停車中に追突される事故に逢いました。
事故現場近くの病院でレントゲン検査をしたら「後縦靭帯骨化症」という難病であることが判明し、40歳台位で歩行に障害が生じるかもしれないと言われてしまいました。

この様な病気が私自身にありましたが、日常生活には大きな影響はありませんでした。

 

妻が亡くなって1年6ケ月後の今年の1月。私の身体に、病気が追加されました。

 ③2021年1月⇒ 3日のことでした。帰省中の息子家族や娘と話をしていたら、急に頭がボーっとなって、左上方向が見えづらくなってしまいました。息子達が “救急相談センター” に連絡してくれた結果、救急車のお世話になることになりました。その後のMRI検査の結果「ラク脳梗塞」ということでした。

 ④2021年4月⇒ ラク脳梗塞の後、体調が不安定な状態が続きました。めまいや立ちくらみ、高血圧の私が超低血圧になったり、心臓で動悸が発生したり・・・
いくつもの検査をした結果、心臓の先端部分にコブができる「心尖部瘤」という病気があることがわかりました。

 

ひとりになった今、とても強く思うことは “食事のバランス” の大切さです。
妻が作ってくれた食事は、いつも手づくりでした。主食・主菜・副菜のバランスが整いタンパク質の摂取や塩分の抑制などに配慮された食事でした。そのおかげで、健やかな日々を過ごせていたのだと思います。いま改めて感謝しています。

 

感謝の気持ちは、その場で照れずに伝えること。

それが大切なんだと、今頃になって反省する自分です。

  

 『ありがとう』 × ∞

 

                                   

 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

次回の家族日記は
〈手術後初の夏〉
を22日(水)に予定しています。