第7話 大震災の発生
〈がん患者の家族の体験記〉
今日は2021年8月21日です。今日は2011年3月を思い出してみました。
横行結腸がん・卵巣転移・腹膜播種・肝臓転移・腸閉塞でも前向きに生き抜いた妻。
これは、病気の妻と一緒に過ごした9年間の「がん患者の家族日記」です。
当時の日記を読み返しながら、患者家族である当時の気持ちを書いてみました。
2011年3月6日(日)の日記
暖かな日曜日。家族全員で練馬のおじいちゃんとおばあちゃんに会いに行き、谷原交差点の近くにある「木曽路」で “しゃぶしゃぶ” を食べた。二人の金婚式(3月5日)とママの回復祝いを兼ねた祝宴である。
味良し、接客良し、設備良しで、大満足の時間を過ごすことができた。幸せな一日をみんなで過ごすことができた。
柳瀬川の梅も満開だ。
※ 練馬のおじいちゃん、おばあちゃん:妻の両親(当時78歳)
〈東日本大震災の発生〉
私たちと同様に、妻の病気を心配していた妻の両親。同じ年の二人は昭和8年生まれで当時78歳でした。二人とも視力が弱く、障がい者手帳の付与を受けていました。金婚式を迎えた二人は、私たちが住む清瀬と同じ路線の練馬に住んでいました。
二人にも安心してもらうため、みんなで練馬を訪問した時のことが、6日の日記に書かれていました。この日の日記を読み返すと、しゃぶしゃぶのお肉が美味しかったことや金婚式の記念にお店の方から湯飲み茶わんをプレゼントされたことを思い出しました。
そんな祝宴の日から8日後に東日本大震災が発生しました。私は全国規模の宅配便会社に就職をして26年目のこの時は、高田馬場にあるグループ会社に勤務していました。会社の前は新目白通りで、夕方頃には歩いて帰宅する人たちで溢れかえっていました。
〈健やかな家族の存在〉
私はその夜、会社に泊まったと日記に書かれていました。その後も、職場で過ごす日々が続きました。家族のことがとても心配でしたが、このような事態の時も仕事ができたのは、妻が退院していた安心感があったからだと思います。家族が健やかな状態でいるということは、会社で仕事をするための基盤だと思います。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
次回の家族日記は
〈桜の季節〉
を25日(水)に予定しています。