がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第93話 妻の入院

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2018年6月の日記を読み返してみました。

 

2018年6月25日(月)の日記

・ママがJ大付属練馬病院に入院した。
・腫瘍に囲まれて狭くなった腸の影響で、排便ができなくなってきた。腸のどの辺がどの位狭いのかを検査して、ステントを入れるのか人工肛門にするのかを決めて実施するための入院だ。
・入院の時に38.2°の熱があり心配だったが、入院したことで精神的には安心できた様だった。
・たくさんの人々に囲まれている私達だと思う。

庭に咲く紫陽花



〈2018年の6

腫瘍との共存を続けてきましたが、少しづつ周りの臓器に影響を与える様になってきました。腸が腫瘍に圧迫されて排便がしにくい状況になってしまいました。狭くなった腸にステント管を入れてスペースを確保するか、人工肛門を装着するかを決めるためにいくつもの検査をしました。妻にとってはつらい検査だったことと思います。

入院から3日後の6月28日にステントを直腸からS字結腸付近に2本留置する手術をしました。大きくなろうとする腫瘍と腸を広げようとするステントが押し合っている状態です。経過観察後、7月5日に追加のステント2本を留置する手術を実施しました。

妻が退院したのは入院から21日目の7月15日でした。

〈ステントを選択した理由

ステントという金属製の管を肛門から挿入して、狭くなった腸の部分に置きます。時間の経過に合わせて金属は広がり腸内の空間を確保するという方法です。
人工肛門をつけるには、開腹手術が必要となります。腹膜腫瘍の場合、開腹することで播種を拡大するリスクがあります。私たちは、播種を増やさないために開腹の必要のないステント治療を選択しました。

ステント治療の手術は全身麻酔ではなく、妻はとてもつらい思いをした様でした。それでも追加の手術を受けました。痩せてしまった妻でしたが、前向きな姿勢は変わることがなく、素晴らしい人だと当時も思いましたし、今もそう思っています。

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第94話は

 〈妻の退院〉

を2022年7月16日(土)を予定しています。

第92話 結婚30周年

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2018年5月の日記を読み返してみました。

 

2018年5月3日(木)の日記

・今日は、結婚30周年記念日。30年前の市ヶ谷会館での挙式を想い出す。
・ママと結婚したことで、幸せな今日を迎えることができたと思う。感謝。
・今日は、おしりが痛く食欲もなく38°近い発熱があり、帰宅したらソファに横になっていた。夕べのお肉で便が固くなったのだろうか・・・

グランドヒル市ヶ谷」となった「市ヶ谷会館」

 

〈2018年の5

5月3日は30回目の結婚記念の日でした。この日の妻は、発熱があり体調不良の日となってしまいました。数日の間、帰宅すると横になっている妻を見るたびに、心の中でとても心配していました。
5月9日の日記には、帰宅すると妻が座っているのを見て安心したと書かれています。そしてこの日は、3年前に3回目の手術を行った日で「今日は手術から3年目の日だ。ふたりで喜ぶ。ママは涙を流していた」とも書かれていました。

振り子が右に左に揺れる様に、私たちの日々も不安と安心の繰り返しでした。

〈結婚式場ふたたび

2022年5月3日に “市ヶ谷会館” を訪ねひとりで一泊しました。結婚式を挙げた施設です。増改築してきれいになっていましたが館内を歩いてみると見覚えのある場所がありました。懐かしく想い出に慕っているとホテルの方が館内を案内してくれました。更に、当時私が書いた「結婚式申込書」なども見せてくれました。かばんの中の妻の写真と一緒に当時を思い出すことのできた一泊二日でした。

妻のおかげで一人になってからも楽しい時間を過ごすことができました。

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第93話は

 〈妻の入院〉

を2022年7月13日(水)を予定しています。

第91話 高熱の日々

〈がん患者の家族の体験記〉

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今日は、2018年4月の日記を読み返してみました。

 

2018年4月28日(土)の日記

・J大付属練馬病院へ行った。発熱が続くことを先生に伝えた。
・先生曰く、原因として考えられることは3つ。
  ① 腸内での炎症
  ② 腫瘍の発熱
  ③ 頻便、頻粘液による肛門の炎症
・今回は③に対処するため、ポステリサン薬を投与し熱の変化を見ることとした。熱が下がらない場合は、カロナール薬で解熱する予定。良い結果を望む。
・帰りに「松村」で鰻を食べた。
・午後は体調も落ち着き自宅で穏やかに過ごすことができ良かった。

病気をあずかってくれる観音様。(秩父第12番札所 野坂寺)

〈2018年の4

春が来て気温が上がってくると妻の体温も上がってきました。38°を超える熱を出すことが目立ってきました。トイレへ行く頻度も増して排便時には粘液を伴うことが増えてきました。体調が優れない時は自宅で横になり無理をしない様に過ごしていました。15時に仕事を終え帰宅した時に、横になっている妻の姿を見る日が増えました。何もできないことを申し訳なく思いました。

妻も私に心配かけて申し訳ないと思っていたのだと思います。ある時「ごめんね」と言われたことがありました。私は心の中で大泣きしました。同時にそんな言葉を言わせてしまった自分が情けなくなりました。

そんな日々を繰り返しながら、妻の体調が落ち着いている時は自宅の近くの柳瀬川沿いを一緒に散歩したりして楽しみました。

〈ふたりの主治医
妻の身体に現れた様々な症状を軽減するため、ふたりの先生にお世話になりました。J大付属練馬病院のM先生は検査結果に基づいて身体の不調を整える治療をしてくれました。O三敬病院のO先生は、問診や触診に加えてJ大付属練馬病院の検査結果と治療方針に合わせながら、免疫力を高める治療をしてくれました。

妻と私は、このふたりの先生にとても感謝しています。

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第92話は

 〈結婚30周年〉

を2022年7月9日(土)を予定しています。

第90話 見ると見守る

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2018年3月の日記を読み返してみました。

 

2018年3月31日(土)の日記

・J大付属練馬病院で3月27日に実施したCT検査の結果を聞いた。
・左鼠径部の腫瘍は、骨盤底の播種病変が突出したものとのこと。
・骨盤底右側の播種病変は、石灰化を伴いやや縮小しているとのこと。
・腹部左上、横隔膜下腔両側の腫瘍はやや増大しているとのこと。
・へそ下部正中、右腸骨窩に4㎝位の腫瘤ありとのこと。
・肝臓、肺、縦隔、鎖骨上窩リンパ節への転移はなしとのこと。
・腹水、胸水はなしとのこと。

散歩途中で見た満開の梅(柳瀬川沿い)

〈2018年の3

妻の体調は、決して健やかな状態ではありませんでした。しかし妻の心は穏やかな時間が多かったように思います。小さなことに喜んだり、ちょっとしたことに笑ったりすることはありましたが怒ったりすることはありませんでした。ほんの少しだけ悲しそうな顔を見せることがあり、そんな時は私も悲しくなりました。

丸山ワクチン漢方薬による治療を続けながら、体調の落ち着いている時は、車で義父の入居する老健や義母の暮らす自宅を訪ねていました。梅が咲き始めると、自宅近くを流れる柳瀬川沿いにある農家さん宅の梅を見に散歩にも行きました。

〈見ることと見守ること

妻は腹膜播種による体調不良を少しだけ感じる様になってきました。その変化を最初に感じるのは妻本人です。変化があったことを妻はあまり口にしませんでした。私は、しばらくしてから変化に気がついたり、診察室で妻が先生に話すときに知ることもありました。

介護時短社員となり早い時間に帰宅して、少しでも体調が悪そうだと「大丈夫?」と質問したりしていました。もしかしたら私の言動は妻を苦しませていたかもしれません。妻は私に心配をかけない様に過ごそうと思っていたことでしょう。頑張って体調不良を乗り越えようとしている時に質問をされても答えようがなかったのだと思います。

自分以外の人の身体や心の変化を見ることは難しいことだと思います。仮に見ることができたとしても、見守ることはもっと難しいことだと思います。本当の優しさを身につけたいと思っています。

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第91話は

 〈高熱の日々〉

を2022年7月6日(水)を予定しています。

第89話 義母の不安

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2018年2月の日記を読み返してみました。

 

2018年2月21日(水)の日記

・昨日に続き練馬宅から電話があった。ママがお風呂に入っていたので私が聞いた。
・最近、歩行時にふらつくことがあるとのこと。一人暮らしに不安があるようだ。
・ママの病気のことが心配だと言いながらも、電話の内容は自分自身の不安を伝える内容である。「あした仕事の帰りに寄るね」と伝えると少し安心した様で良かった。
・こういうことをするために時短社員になったのだから頑張ろう。

想い出の秩父札所(第5番 語歌堂)

〈2018年の2

この頃の日記を読み返すと忘れている出来事がいくつも書かれていました。妻は微熱があり排便時に粘液が出たりなど体調のすぐれない日が続いていました。そんな状態なのにバレンタインデーの14日には、自宅から歩いて15分位の所にあるスーパーへ行き私のためにチョコレートを買ってきてくれました。
17日には、私の父の13回忌法要があり息子とふたりでお寺に行ったことや19日には陽子線治療を実施したT大学病院を訪ねたことなどが書かれていました。

〈義母の生活応援

練馬区内の老健で暮らす義父と練馬区内の自宅で暮らす義母。大宮市内の老健で暮らす母。清瀬の自宅で一緒に過ごす妻。ありがたいことに大宮に住む姉夫婦が母のお世話をしてくれたのでとても助かりました。

義母からはほぼ毎日電話がありました。妻は横になりながら、義母の話を聞いていました。長い電話の内容は、自分の体調のことやヘルパーさんのこと、配達された郵便物のことや墓所や役所の手続きのことなど、多岐に渡っていました。
妻は義母の気持ちが落ち着くまで話を聞いていました。聞くだけで義母の不安は軽減されていたのだと思います。妻の優しさを改めて感じました。

時短社員となった私は、会社帰りに義母宅と義父の暮らす施設を訪問しました。義母宅を訪問した時は、郵便物を開き読み上げ、必要な手続きの代行をしました。

母と義父母たちは、自分自身の老いていく姿を私に見せてくれました。一人暮らしをするようになった今の私にとって、とても勉強になりました。

                               


お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第90話は

 〈見ると見守る〉

を2022年7月2日(土)を予定しています。

第88話 不変の腹膜播種

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2018年1月の日記を読み返してみました。

 

2018年1月27日(土)の日記

・ママとCT検査の結果を聞くためにJ大付属練馬病院へ行った。
・腹膜内に腫瘍はあるが前回の検査時より増加も肥大もしておらず “不変”とのこと。
・本当はなくなったり縮小したりしてくれることを望んでいるのだが、引き分けといったところか・・・
・しかし、この状態であと20年保ってもらえたら何よりの幸せだと思い、今日の引き分けに感謝したいと思う。

想い出の秩父札所(第4番金昌寺)

〈2018年の1

がんになり8回目の新年を迎えることができました。病気と共に過ごす様になると新年を祝う1月と桜の花が咲く4月は、とても感慨深い季節となりました。時の流れや植物のもつ生命力に対して感謝と感動の気持ちで一杯になります。

がんの完治からがんとの共存へ方針が変更されたことで、考え方も工夫しました。80歳位になるまでのあと25年程の時間。生きるために必要な臓器に悪影響を与えず静かにしているのなら、邪魔にならない隙間にいても良いよという思いです。

もちろん腫瘍が消滅したり減少してくれることの方がうれしいのですが・・・ 

 

〈義父の生活応援

脳梗塞になった義父は、妻と私が手配した老健での暮らしが始まって2ヶ月が経過していました。私が会社帰りに面会に行くと施設にいる理由を何度も質問されました。何度も脳梗塞になったところからの説明をしました。妻と一緒に面会に行くと「そろそろ帰ろうか」などと言ったりしていました。

少しずつですが認知症の症状も出始めたのだと思います。穏やかだった義父が私に厳しい言葉を投げかける時がありました。そんな時は、義父ではなくて病気が言わせているのだと思う様にしていました。将来の私の姿かもしれないと思いました。老いる苦しみを見せてくれているのだと思いました。

老健は終身で暮らせる施設ではありません。終身での入居が可能なのは特養です。視覚障害のある義母と後遺症の残る義父との暮らしは難しいと考え、義父の特養探しを続けていました。同時に義母の自宅での暮らしをサポートしてくれているケアマネさんとの連絡や面談もあり、とても忙しく過ごしていました。

                               


お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第89話は

 〈義母の不安〉

を2022年6月29日(水)を予定しています。

第87話 クリスマスコンサート

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2017年12月の日記を読み返してみました。

 

2017年12月18日(月)の日記

・麻布グレイスゴスペル教会で「いきのちから・クリスマスコンサート」が開催されママも参加した。
・ステンドグラスの美しい教会で、とても素晴らしい合唱に感動した。ママはとても輝いていた。元気そうに歌う姿を見て、涙を流してしまった。
・どうぞどうぞ来年も感動したいと思う。
・「今日一日を大切に生きる」これを繰り返しながら、一緒に生きていきたいと心から思う。

麻布グレイスゴスペル教会

〈2017年の12

今日は2022年6月ですが、5年前の12月の日記を振り返っています。複数の患者会へ参加していました。そのうちのひとつは都心で開催されていました。その患者会の催しとして「クリスマスコンサート」がありました。

様々ながんの患者さんが集まって声楽家の先生に発声から教えていただきました。歌うことは深い呼吸が必要で、免疫力のアップになったのだと思います。コンサートという目標に向かって暮らすことで治療とは別の引出しができ、少しだけ前向きな気持ちになれたのかもしれません。縁あってこの催しに妻も参加させていただきました。

麻布にあるとてもステキな教会で、出演者の後ろのステンドグラスからは、太陽の光が差し込んでいました。病気を取り除いてくれそうな、とても暖かな光でした。

〈夢とトキメキ

毎日の暮らしというのは、歓迎できない出来事と素敵な出来事が交互にやってくる様にできているのでしょうか。この頃の日記を振り返ると、腹膜播種の増大や義父の病気や義母の暮らしの世話などが連日書かれていました。その一方で、コンサートで歌うことを夢にトキメキを感じている妻がいたり、12月17日の日記には息子夫婦に赤ちゃんができ、みんなで大喜びをしている様子が書かれていました。

夢を抱いて行動するとトキメキを感じます。トキメキを感じる暮らしは素敵な事です。そんなことを妻から感じたクリスマスコンサートでした。

                               


お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第88話は

 〈不変の腹膜播種〉

を2022年6月25日(土)を予定しています。