がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第89話 義母の不安

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2018年2月の日記を読み返してみました。

 

2018年2月21日(水)の日記

・昨日に続き練馬宅から電話があった。ママがお風呂に入っていたので私が聞いた。
・最近、歩行時にふらつくことがあるとのこと。一人暮らしに不安があるようだ。
・ママの病気のことが心配だと言いながらも、電話の内容は自分自身の不安を伝える内容である。「あした仕事の帰りに寄るね」と伝えると少し安心した様で良かった。
・こういうことをするために時短社員になったのだから頑張ろう。

想い出の秩父札所(第5番 語歌堂)

〈2018年の2

この頃の日記を読み返すと忘れている出来事がいくつも書かれていました。妻は微熱があり排便時に粘液が出たりなど体調のすぐれない日が続いていました。そんな状態なのにバレンタインデーの14日には、自宅から歩いて15分位の所にあるスーパーへ行き私のためにチョコレートを買ってきてくれました。
17日には、私の父の13回忌法要があり息子とふたりでお寺に行ったことや19日には陽子線治療を実施したT大学病院を訪ねたことなどが書かれていました。

〈義母の生活応援

練馬区内の老健で暮らす義父と練馬区内の自宅で暮らす義母。大宮市内の老健で暮らす母。清瀬の自宅で一緒に過ごす妻。ありがたいことに大宮に住む姉夫婦が母のお世話をしてくれたのでとても助かりました。

義母からはほぼ毎日電話がありました。妻は横になりながら、義母の話を聞いていました。長い電話の内容は、自分の体調のことやヘルパーさんのこと、配達された郵便物のことや墓所や役所の手続きのことなど、多岐に渡っていました。
妻は義母の気持ちが落ち着くまで話を聞いていました。聞くだけで義母の不安は軽減されていたのだと思います。妻の優しさを改めて感じました。

時短社員となった私は、会社帰りに義母宅と義父の暮らす施設を訪問しました。義母宅を訪問した時は、郵便物を開き読み上げ、必要な手続きの代行をしました。

母と義父母たちは、自分自身の老いていく姿を私に見せてくれました。一人暮らしをするようになった今の私にとって、とても勉強になりました。

                               


お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第90話は

 〈見ると見守る〉

を2022年7月2日(土)を予定しています。