第88話 不変の腹膜播種
〈がん患者の家族の体験記〉
このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。
今日は、2018年1月の日記を読み返してみました。
2018年1月27日(土)の日記
・ママとCT検査の結果を聞くためにJ大付属練馬病院へ行った。
・腹膜内に腫瘍はあるが前回の検査時より増加も肥大もしておらず “不変”とのこと。
・本当はなくなったり縮小したりしてくれることを望んでいるのだが、引き分けといったところか・・・
・しかし、この状態であと20年保ってもらえたら何よりの幸せだと思い、今日の引き分けに感謝したいと思う。
〈2018年の1月〉
がんになり8回目の新年を迎えることができました。病気と共に過ごす様になると新年を祝う1月と桜の花が咲く4月は、とても感慨深い季節となりました。時の流れや植物のもつ生命力に対して感謝と感動の気持ちで一杯になります。
がんの完治からがんとの共存へ方針が変更されたことで、考え方も工夫しました。80歳位になるまでのあと25年程の時間。生きるために必要な臓器に悪影響を与えず静かにしているのなら、邪魔にならない隙間にいても良いよという思いです。
もちろん腫瘍が消滅したり減少してくれることの方がうれしいのですが・・・
〈義父の生活応援〉
脳梗塞になった義父は、妻と私が手配した老健での暮らしが始まって2ヶ月が経過していました。私が会社帰りに面会に行くと施設にいる理由を何度も質問されました。何度も脳梗塞になったところからの説明をしました。妻と一緒に面会に行くと「そろそろ帰ろうか」などと言ったりしていました。
少しずつですが認知症の症状も出始めたのだと思います。穏やかだった義父が私に厳しい言葉を投げかける時がありました。そんな時は、義父ではなくて病気が言わせているのだと思う様にしていました。将来の私の姿かもしれないと思いました。老いる苦しみを見せてくれているのだと思いました。
老健は終身で暮らせる施設ではありません。終身での入居が可能なのは特養です。視覚障害のある義母と後遺症の残る義父との暮らしは難しいと考え、義父の特養探しを続けていました。同時に義母の自宅での暮らしをサポートしてくれているケアマネさんとの連絡や面談もあり、とても忙しく過ごしていました。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
・次回の家族日記/第89話は
〈義母の不安〉
を2022年6月29日(水)を予定しています。