がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第39話 トキメキと共に

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し、当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2013年12月の日記を読み返してみました。

 

2013年12月31日(火)の日記

・いろいろなことがあった一年。今日で幕を閉じようとしている。家族が一緒に年末を迎えることができた。こんな幸せなことはない。有難いことである。
・神様、仏様、ご先祖様、周りの皆さま、本当に感謝しています。
・この状態が “いつまでも続くことはない。永遠でない” ということは覚悟している。わかってはいるけれども、一日でも長く数時間でも長く続くことを祈っている。
・2013年、今年も一年ありがとう。

 

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成人式の着物柄

〈2013年の12月
12月1日に薬剤師を志す息子の就職活動が解禁、8日に娘の成人式の前撮り、15日に母が心臓の具合が悪くなり検査、20日に畑の仲間の皆さんと年忘れランチ会、23日に町内の大掃除などの出来事がありました。

成人式の前撮りは、就活中の息子も参加して家族全員による撮影会になりました。担当者の女性の誉め言葉を素直に聞いて喜んでいる娘を囲み、家族皆で大爆笑しました。

 

〈ふたつの修行〉 

今日は2022年1月5日です。9年前の12月の日記を読み返しました。あの頃と今の違いは “ひとり暮らし” であるということです。家事や家計や子育てなど、妻依存症の私でしたので、そのツケが回ってきて修行の日々が続いています。

ひとつは「健やかな身体を保つための修行」です。肥大性心筋症、後縦靭帯骨化症の持病に加え、昨年は脳梗塞と心尖部瘤という病気を経験しました。映画「男はつらいよ」の寅さんの様に長続きしない反省の多い私ですが、食事バランスと運動だけは深く反省し意識した暮らしを継続しています。

もうひとつは「健やかな心を保つための修行」です。ひとり暮らしの私の前には、片面に “自由” もう片面に “寂しさ” と書かれた白い紙が置かれ、油断をすると “寂しさ” の面がオモテになってしまいます。感謝する気持ちを忘れずにトキメキを感じる日々を過ごすことで “自由” の面がオモテになるよう心がけて過ごしています。

健やかな身体と心を保ちながら暮らす『トキメキの2022年』の始まりです。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

今年もよろしくお願いします。

・次回の家族日記は

 〈静かなお正月〉

を2022年1月8日(土)に予定しています。

第38話 玉川温泉の旅

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、横行結腸がん・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し、当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、8年前の2013年11月の日記を読み返してみました。

 

2013年11月2日(土)の日記

・新幹線で秋田県玉川温泉に行った。
田沢湖駅構内のバス案内所の女性が親切に案内してくれて、予定外で田沢湖に立ち寄り遊覧船に乗った。湖上から見る紅葉はとてもきれいだった。
玉川温泉の湯治宿から少し離れたところにある岩盤浴はとても暖かく気持ちが良かった。親切なご夫婦が色々と教えてくれた。福島の方でご主人は肺がん、奥さんは脳梗塞とのこと。

  ※ 玉川温泉:宿泊者は “がん” をはじめとする様々な病気を抱えている方が多い。

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大自然岩盤浴へ続く歩道

〈2013年の11月

この頃の私たち夫婦は、O三敬病院の「患者の会」にも参加していました。そこに参加している方から、秋田県にある玉川温泉岩盤浴のお話を伺い訪ねてみました。
科学的な効能の有無についてはわかりませんが、大自然の中の岩盤浴と強酸性の温泉は体感した分だけ回復する様な気持ちになったことは確かでした。さらに良かったことは、ここには一生懸命に生きる “がん患者” の方々が、全国から集まっていたことです。

食堂や居間や洗面所などで何度も顔を合わせているうちに会話が始まります。その会話から希望を受取ることは何度もありました。もしかしたら、時には希望を渡したこともあったかもしれません。心が少しだけ暖かさで包まれた様な気がしました。

帰る時に次回の予約をすると良いということを教わり実行しました。リンゴをお裾分けしてくれた福島のご夫婦と帳場で一緒になりました。次回の予約日が同じ頃になったのですが「では、またお逢いしましょう」の言葉が、とても重いのです。一期一会という言葉がありますが、ここではこの言葉の重さを心から感じました。次回、予定通りにこの地を訪ねることができる保証など、お互いにないからです。

 

〈第1話~第37話を振り返って〉 

今年(2021年)6月に「がん患者の家族日記」を始め、今日で今年のUPは終了となります。お読みいただきありがとうございました。2022年は1月5日から再開して、9月の最終回に向かいたいと思っています。引き続きよろしくお願いします。

息子にサポートしてもらい、人生初のblogに挑戦しました。2004年8月27日に書き始めた日記です。いま2010年からの9年間を読み返すことで、思い出されることがたくさんあります。挑戦して良かったと思っています。

愛する人を亡くして後悔を感じない人はいないと思います。愛する人が病を抱え、自分なりに一生懸命に伴走したつもりだけれど、もっとああすれば良かったとかあんなことはしなければ良かったとか。もっとこんな言葉をかけてあげれば良かったとか、あんな言葉を口にしなければ良かったなど。様々な場面で後悔を感じるものです。

そしてもう一つ “悲しみは時が経っても消えない” ということも良くわかりました。

しかし残された人は、生ある限り前に進まなければいけないのだと思います。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記は

 〈トキメキと共に〉

を2022年1月5日(水)に予定しています。

第37話 普通はありがたい

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、横行結腸がん・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し、当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、8年前の2013年10月の日記を読み返してみました。

 

2013年10月13日(日)の日記

・ママと畑で作業をした。あきらめかけていたブロッコリーが回復してきたので二人で喜んだ。うれしい。長ねぎや春菊も頑張ってくれている。すごい‼
・散歩がてら水天宮に行ったら七五三参りの家族がたくさんいた。昔々、我が家も4人のおじいちゃん・おばあちゃん達と一緒にお参りしたことを想い出し懐かしんだ。
・水天宮前にある寿司店「魚三九」で寿司を食べ、駅前で開催しているアイレック祭りを訪ねた。充実した一日だった。

 

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畑の仲間の皆さんと “焼き芋” に挑戦

〈2013年の10月

この月の日記を読み返すと、J大付属練馬病院での定期検査(CT・PET・血液検査)の結果から、再発や転移は見当たらず安心した様子が書かれていました。3ケ月毎に合格点を取らなければならない試験を受けているようなもので、結果が発表される時はドキドキし、数値の変化に一喜一憂していました。先生の「標準値内です」という言葉を聞くことが何よりうれしいことでした。

一方で、私の体調は崩れていたようで「息苦しい」とか「胸痛があった」とか肥大性心筋症に関係する症状や「半身がしびれる」や「歩行がしづらい」とか後縦靭帯骨化症に関係する症状と思われることが、この頃の日記に頻繁に書かれていました。

私は厄介な病気を持っています。この当時、わかっていたのは「肥大性心筋症」「後縦靭帯骨化症」でした。そして今は「ラク脳梗塞」「心尖部瘤」という病気が追加され東京大学に学生として通うことはありませんでしたが、今は東大病院の循環器内科・脳外科・整形外科に患者として通っています。

〈普通にできることのすばらしさ〉 

妻が “がん” という病気になりました。私自身もいくつかの “病気” を抱えました。
そうすると、食べることや飲むことなどに注意が必要になります。起き上がる時や横になる時や外出する時に、心配りや準備が必要になります。
これらの「食べる・排泄する・起きる・歩く・寝る」等の日常のおこないですが、元気な時は “あたりまえ” にしてきたことです。簡単にできたことです。
しかし、病気になると思い通りにはできないものです。おこなう時には、心配りや困難が伴う “ありがたきこと” になります。そんなことを病気になって感じました。

日常のおこないを普通にできること。
これは “あたりまえ” のことではなく “ありがたい” ことなのだと思います。

朝になって目が覚めること。これは奇跡だ!
と思いながら、毎日を迎えています。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記は

 〈玉川温泉の旅〉

を12月29日(水)に予定しています。

第36話 私の母のこと

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、横行結腸がん・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し、当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2013年9月の日記を読み返してみました。

 

2013年9月2日(月)の日記

・夏の暑い日の手術から今日で13か月目。万全ではない体調だろうに、マイナスな言葉を口にせず暮らすママは立派だと思う。
・会社帰りに新宿の実家に寄る。数日前に体調を崩し、近所の方に付き添ってもら夜間診察を受けたとのこと。今後の暮らしに不安を感じると言っていた。
・しばらく電話をしなかったため、不安が増すことになったのではと反省する。病や老いに対する不安が募ってしまったのだろう。心配りができず反省する。

 ※ 新宿の実家:私の母(この時84歳)が一人で暮らしをしていた私の生家。

 

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3年間お世話になった大宮のFハイム

 

〈2013年の9月

この月の日記を読み返すと、宮城や大阪などへ出張に出かけることが多かった様です。以前は1泊していた出張でしたが、妻の病気がわかってからは日帰り出張にしていました。何かあった時にそばにいたいと思ったからです。

2013年の9月は、私は53歳で妻は51歳でした。私の父は2006年に86歳で亡くなり、母は一人暮らしを続けていました。2009年に肺がん、翌年には腰骨と左腕の骨折などの病気やケガをしましたが、ひとりで頑張って暮らしていました。

冷たいようですが、私は “同じ家での暮らし” ではなく “ほどよい距離での暮らし” の方がお互いに良いのではと考えていました。自分が “じいじ” と呼ばれる様になった今も、息子や娘たちに対して同じように思っています。
この頃の勤務地は、実家から30分位の所にあり、時々は立寄っていました。しかし、いま思えばもっと立ち寄って、たくさん話をすれば良かったと思っています。

典型的な “昭和の母” で、とても辛抱強くて優しい母でした。2016年に施設に入居しました。姉家族はとても優しいファミリーで、施設から病院に移った後も最期まで面倒をみてくれたので、母は幸せだったと思います。

2019年7月11日に亡くなりました。この日は、妻が亡くなる16日前でした。

〈亡くなった人の分を生きている人へ〉 

妻や母や父に対して、もっとこうしてあげれば良かったとか、あんなことしなければ良かったという様な “自分の行動” に反省することがたくさんあります。
同じように、こんな言葉をかけてあげれば良かったとか、あんな言葉は口にしなければ良かったとか “自分の言葉” に後悔することも盛りだくさんです。

どれだけ反省や後悔をしても、今はもう妻も母も父の身体は、この世にはいません。(魂はいつも身近にいると感じていますが・・・)

だから自分の “行動と言葉の反省と後悔” は、子供達ファミリーや妻の両親に向けて実行することで、悔い改めていきたいと思っています。そして妻と母と父には、いつの日にか再会した時にお詫びをするつもりです。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記は

 〈普通はありがたい〉

を12月25日(土)に予定しています。

第35話 家族旅行/青森

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、横行結腸がん・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し、当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2013年8月の日記を読み返してみました。

 

2013年8月12日(金)の日記

・B医大で実施した2度目の手術から今日で1年が経過した。
・すべてのものに感謝である。「ありがとう」
・これから先も、この幸せが続きます様に・・・

 ※ 2度目の手術:卵巣に転移した腫瘍の切除手術のこと。

 

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新青森駅で飲んだリンゴの缶ジュース

 

〈2013年の8月

2010年12月に横行結腸がんの手術を行い、2012年8月に卵巣に転移したがんの手術を実施し1年が経過した夏でした。
この年の3月に抗がん剤治療を中止し、O三敬病院の漢方薬治療を開始した年でした。J大付属練馬病院での定期的な経過観察は3ケ月毎を目安に継続していました。とてもありがたいことに「再発・転移なし」の検査結果が続きました。

そんなこともあり、青森への旅行をしました。新幹線とレンタカーを利用して、白神山地不老不死温泉奥入瀬渓谷や十和田湖、八戸などを巡る、西から東への「青森横断の旅」となりました。

こうして振返ってみると、今も記憶に残っていることは・・・
新青森駅で2種類のりんごの缶ジュースを買って4人で飲み比べたこと。宿泊したグランメール山海荘で聞いた三味線の生演奏の音色がすばらしかったこと。車で不老不死温泉に入ろうとしたら、道路の真ん中に鹿の親子がいて目が合ったこと。十和田湖から八戸に向かっていたら “キリストの墓” の標識があり寄り道したこと。八食センターでたくさんの食材が並んでいて、イートインで何を食べるか迷ったこと。この様なことばかりです。
有名な観光地の風物よりも、家族で過ごした時の会話や行動が心に残っています。

家族での一緒の時間。これを大切に過ごしたいと思います。

 

〈いま頃になって、そしてこれからも〉 

ひとりで暮らすようになって3回目の年末を迎えています。子供達、親戚、ご近所の皆さん、40年以上続く学生時代の仲間、会社員時代の仲間、妻がお世話になった先生方や患者会の方々、スポーツジムの先生など、たくさんの方々に私の身体と心は支えられて暮らしています。

おかげ様で、やっと最近になって安定した食事や適度な運動、買い物や家事などができるようになってきました(できるようになった気になってきました)。やればできるのなら、もっと早くからやっていれば、妻の身体や心の負担を軽減できたでしょうし喜んでもらえたのではと思います(反省しています)。

今の私がしたいことは、自分のことは自分でやり続けること、子供達家族と妻の両親を見守り続けることです。そうすることで、虚空と呼ばれるあちらの世界にいる妻に安心してもらいたいと思っています。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記は

 〈私の母のこと〉

を12月22日(水)に予定しています。

第34話 O三敬病院患者の会

 

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、横行結腸がん・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し、当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2013年7月の日記を読み返してみました。

 

2013年7月12日(金)の日記

・O三敬病院に行く。いつも通りの診察が終わり、次回の予約をしている時に 院内で実施している “太極拳” の案内チラシが目に入り質問すると「これから始まりますよ」とのことだったので、これも縁だと思いふたりで参加した。(参加費は無料)

太極拳を実施した後、「患者の会」の人たちとお話をした。診察を終えたO先生も加わり、先生から色々なお話を聞くことができた。

 ※ 患者の会:O先生の患者さん達が運営する会のこと。

 

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O三敬病院 患者の会「予定表」


〈2013年の7月

私たちの主治医は、J大付属練馬病院のM先生です。M先生は、手術・抗がん剤放射線などによるがんを治す標準治療。もう一人の主治医であるO先生は、漢方薬ホメオパシー・針灸・びわ温灸・太極拳・呼吸法などによる体全体を整える治療。

この二人の先生が、私たちを心身共に支えてくれた素晴らしいパートナーです。

そして、もう一つの支えがO三敬病院の患者さん達で運営する「患者の会」です。金曜日のO先生の診察後に、“道場” と呼ばれるリハビリルームの一部には、通院患者さんや入院患者さんが集い、車座になって話をしたり合唱をしたりして過ごしました。ずいぶんと勇気づけられました。診察を終えたO先生も加わって、太極拳を行い先生の講話を聞くのが楽しみでした。

がんという病気を治すことに加え、がん患者の身体と心の調子を整えることを、二人の先生と患者の会の皆さんにしていただきました。そして、患者の会の皆さんには、今も「秩父札所巡り」をご一緒させていただき、一人になった私は支えられ続けています。(1日2~3カ所、2年位かけて34カ所を巡礼する予定です)

 

〈今年もあと半月〉 

今日は2021年12月15日です。残すところ16日です。時の過ぎるのが早く感じます。一方で1月頃のことは、ずいぶんと遠い昔のことの様に思います。

今年は、身体の調子が乱れた時期が何度かありました。1月~2月の「ラク脳梗塞」と「血圧の超低下」。7月~8月の「心臓の心尖部瘤の発覚」と「不整脈の頻出」。
そして、12月になってからの「左頭部と左目の違和感」。

私は身体は天からの借り物で、心は自分自身の物と考え暮らしています。
借り物の身体は大切に使わせていただいていますが、日を追うごとに劣化しています。できるだけ大切に使い、良い状態で返却したいと思っています。
心は永遠に存在する物と思うようにして、磨き続けたいと思っています。

今年マスターしたことは、夢はあきらめないで継続するが、実現の方法は身体の調子に合わせてどんどん変更するという考え方です。
定年後に掲げた3つの夢のひとつに「日本を一周する」があります。当初は、車中泊をしながら1年で実現しようとして昨年12月に “四国一周” を実施しました。1月に体調を崩した後は、期間は同じ1年ですが移動手段を車から電車に、計画を変更しました。

コロナが落ち着き始め試しに少しだけ活動してみましたが、もう少しシフトダウンが必要な様に感じ、移動手段は電車などの公共交通機関を利用して、実施期間は2025年の65歳迄に延長し、訪問方法も移動型から滞在型にして計画を再修正しています。

『無理をせずに、今の環境に見合った方法で、夢を実現する』

これが、私の「今年の学び」です。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記は

 〈家族旅行/青森〉

を12月17日(金)に予定しています。

第33話 娘の誕生日

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、横行結腸がん・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し、当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2013年6月の日記を読み返してみました。

 

2013年6月16日(日)の日記

・Eの20歳の誕生日だ。帝国ホテルのなだ万で、おじいちゃんも一緒に5人で食事をした。会食の終り頃に、今日の主役であるEが「産んでくれてありがとう」と言いながら、日比谷花壇の花をママに贈った。ママは涙を流して喜んでいた。

・さらに、EとNから私は「父の日の贈り物」をもらった。

・ママは私に「万歩計」をくれた。おじいちゃんには「父の日の贈り物」をした。

・みんな素敵な家族である。

 ※ E:娘のこと、N:息子のこと、おじいちゃん:妻の父のこと。

 

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畑の様子を見る家族(2013年6月)



〈2013年の6月

なぜ、帝国ホテルで誕生会をしたのか、まったく思い出せません。我が家の外食を決める際の “選択できるリスト” に、都心のホテルはありません。今も謎のままです。

家族で家族の祝い事を一緒にできることは、とても楽しく素晴らしいことです。この時のことで、娘が妻に花を贈り感謝の言葉を伝えたことは今も記憶にあります。ホテル内の花屋さんに頼んでおいたのでしょう。食事の終わった頃に長めのトイレだなと思っていたら花を持って戻ってきたことを想い出します。

息子と娘から私への贈り物、妻から私への万歩計、妻から妻の父への贈り物。予想もしなかった出来事に驚き感動しました。帝国ホテルの施設のすばらしさ、なだ万の料理の美味しさなど、我が家にとっては豪華で素晴らしい時間だったことと思います。しかし記憶に残っているのは、家族の一人ひとりのサプライズです。

春に始めた畑から「生命」を感じるようになっていました。

 

〈素敵な贈り物〉 

あれから8年。先週末(2021年12月4日)に28歳になった娘と二人で、高尾山の近くにある霊園へお墓参りに行きました。その後は、富士山が見たくて河口湖畔のホテルに泊まりました。昼間は富士山と逆さ富士、夜はたくさんの星座を見ることができました。

夕飯の時にレストランに行くと “3人掛けのテーブル” が用意されていました。2人ですがと伝えると「奥様もご一緒にどうぞ」と影膳を用意してくれていました。驚きです。いつも携帯している妻の写真を置いて3人で食事をさせていただきました。

食事が終わるころになると、大きな皿に小さなケーキ、お皿には “ご婚約おめでとう” の文字がチョコレートで書かれていました。またまた驚きました。

チェックイン時に、富士山を背景にホテルの方に写真を撮ってもらいました。その時、私と娘の間に妻の写真を置いたことを想い出しました。また風呂上がりに30分程のマッサージを受けた娘は、担当の女性から問われるままに、母が亡くなったことや自分が婚約したこと、お墓参り帰りの父娘旅であること、などを答えていた様でした。

それが、レストランに伝わり座席やケーキのサプライズになったのだと思います。

他のテーブルでも驚きの声があがっていました。幼児連れのテーブルに “お誕生日ケーキ” が届けられ子供さんが目をまん丸にしている様子が目に入ってきました。

このホテルの皆さんは、とても楽しそうに働いています。きっと、お客さんを喜ばせることを、自分たちの喜びにしているのだと感じました。露天風呂からの景色もレストランの食事も部屋のつくりも素晴らしいものでしたが、恐らく忘れることでしょう。
しかし、このサプライズによる感動は忘れることはないと思います。

イルミネーションが輝きクリスマスが近づいています。もしかしたら「心に残る贈り物」とは、必ずしも「形のある物を渡す」ことではなくて「思いがけない驚きを伝える」ことなのかもしれません。

 

追伸)この時期にお勧めする映画

   ▷『34丁目の奇跡』   

     サンタクロースは実在すると思います!

   ▷『素晴らしき哉、人生』 

     自分は必要な存在なのだと思います!

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

  •  次回の家族日記は
     〈O三敬病院患者の会〉

を12月15日(水)に予定しています。