がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第31話 友との別れ

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、横行結腸がん・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し、当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2013年4月の日記を読み返してみました。

 

2013年4月12日(金)の日記

・ママとO三敬病院に行った。手のこわばりは抗がん剤の副作用と考えるのが一般的だろうと言われた。漢方薬で症状を緩和することとなった。

・K氏からのメールで同期のRが亡くなったことを知った。自宅で1ケ月くらい前に亡くなっていたのが、発見されたのは最近らしい。死因については不明とのこと。

新宿の母と電話で話す。最後に「元気でね」と言われた。

 ※ K氏:大学時代のクラブの仲間 R:同じくクラブの仲間

 

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たくさんのことを学んだ海(葉山森戸海岸)

〈2013年の4月

春になり桜が咲く季節になっていました。子供達の学校は新学期、会社は新年度を迎えあわただしい日が続いていました。妻の副作用は、主に手のこわばりでした。日常生活で不便なことが多かったようで、気の毒な気持ちでいっぱいでした。

妻のことを素晴らしいと思うのは、身体の具合が良くない日は何日もあったでしょうが心はいつも穏やかで目が合うとニコっと微笑んでくれました。朝晩の「おはよう」「おやすみ」、会社へ行く時と帰った時の「いってらっしゃい」「おかえり~」の言葉とイントネーションは今も心に残っています。

副作用の苦痛と再発・転移への不安を抱えながらも、家族で穏やかな春を過ごしていた時期でした。

 

〈出逢いと別れはワンセット〉 

小学校時代は野球。中学校時代はバスケットボール。高校時代はラグビー(途中退部)とバスケットボール。大学時代はヨットを経験しました。それぞれのスポーツから多くのことを学びましたが、ヨットを通じて海から学んだことはダントツでした。

大学時代のヨット部は合宿所暮らしでした。今も40年超の付き合いが続いています。私の同期は7人いましたが、そのひとりの死をこの月に聞きました。同期の中でもリーダー的な存在で、誘われて一緒にアルバイトもしていました。

生きていると様々な苦しみに出会いますが、仲間や愛する人と別れる苦しみは、その筆頭ではないでしょうか。出逢いは、楽しくてときめいて心が躍ります。しかし、紙に表裏があるように出逢いと別れは表裏一体なのだと感じた春でした。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

 次回の家族日記は
 〈結婚記念日25周年〉

を12月8日(水)に予定しています。