第86話 介護時短社員
〈がん患者の家族の体験記〉
このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。
今日は、2017年11月の日記を読み返してみました。
2017年11月16日(木)の日記
・新しい職場の初日の朝。屋上にある従業員駐車場から富士山がきれいに見えた。
・支店長、各課長、ベース長に挨拶をした。昔の顔なじみにも再会した。
・グループ会社での13年間を終えて、ここで定年を迎えることになるのだろう。
・ママは、義理の両親のために介護時短社員になったことを不思議に思っている様だった。
〈2017年の11月〉
私は1985年に全国規模の宅配会社に入社し、楽しいことも辛いこともありましたが家族と仲間に囲まれながら転勤を繰り返し2005年にグループ会社の執行役員として都内の職場に勤務していました。そして5年後の2010年に妻のがんを知り2017年に介護を必要とする社員のための「介護時短社員制度」を申請し、自宅から車で15分位の場所にある新しい職場へ異動しました。
妻は2017年迄に3回の手術を実施しました。3回目の手術に際しては、腹膜内に腫瘍が播種していることがわかりました。完治を目指す治療から共存を目指す治療に変化していきました。どのようにしたら痛みや苦しみを防ぐことができるのか。どうしたら穏やかな心を保つことができるのか。そんなことを患者家族の私は考えていました。
〈妻の覚悟と私の決断〉
この年、義父が脳梗塞になりました。視力障害のある義父母は、二人で協力することで日常生活を過ごせていましたので、義父の病気は義母の日常生活に影響しました。妻は自分自身の病気に対する不安に加えて、両親のことをとても心配していました。妻は自分より義母が長く生きると考えて義父母の施設探しをしていました。
そんな覚悟で過ごす妻の隣りにいる私の心の中にあった願いとは・・・
① 妻と少しでも長く一緒に過ごしたい。
② 身体も心も健やかな妻でいてほしい。
でした。実に自己中な願いだと思います。そして願いを叶えるために「介護時短社員制度」を申請しました。肩書は失い収入は減少しますが、時間を得ることができます。
時間を得たおかげで義父母の生活環境を用意できました。私の出勤後に発症した腸閉塞にも、すぐに帰宅して対応することができました。
11月29日の日記に、妻から「なぜ自分の親でもないのに介護時短社員になったのか」と聞かれたと書かれていました。私が何と答えたかは書かれていませんでしたが、自分の願いを叶えるためだったのだと思います。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
・次回の家族日記/第87話は
〈クリスマスコンサート〉
を2022年6月22日(水)を予定しています。