がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第40話 静かなお正月

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し、当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2014年1月の日記を読み返してみました。

 

2014年1月1日(水)の日記

・家族が揃って新しい年を迎えることができ、とてもありがたく幸せな気持ちでいっぱいである。
・大宮のみんなと一緒にお墓参りをして、八王子の京王プラザホテル内の中国料理店「南国」で昼食を共にする。
・昼食後の我が家は、山中湖畔にある「紅富士の湯」に立ち寄って山中荘へ。
・今年も一年、良い毎日を重ねていきたい。ありがとう。

   ※ 大宮のみんな:大宮に住む私の姉家族のこと。

   ※ 山中荘:勤務していた会社の保養所のこと。

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勤務先の保養所「山中荘」



〈2014年の1月

がんと向き合う生活を9年間過ごした我が家ですが、いま当時の日記を読み返してみると、2013年と14年は再発も転移もなく穏やかに過ごせていた2年間だったことがわかります。
14年のお正月は、元旦にお墓参りをして2泊3日で勤務先の保養所で過ごしました。2日朝は、妻と娘は寝ていましたが息子と二人で、再び紅富士の湯へ行き、露天風呂に浸かりながら朝日に照らされて紅色に染まる富士山を眺めたことを想い出します。日中は御殿場アウトレット乙女峠を訪ねました。のんびりと楽しい静かな時間でした。

〈ふたつの実家〉 

正月3日は私の実家(新宿)に行き、4日は妻の実家(練馬)へ行きました。

新宿の母は、この時85歳でひとり暮らしでした。左ひざが痛くてトイレに行くのも大変だと話していたこと、室内用杖・子機付き電話機・ポット・宅配弁当を用意することにしたことなどが、1月の日記に書かれていました。そして、「みんながいると楽しいが、帰ってしまうと淋しい」と言っていたことも書かれていました。

練馬の父母は、この時81歳(父母は同じ年)で、ふたりで暮らしていました。ふたりとも目に障害があるのですが協力し合って暮らしていました。昼食は実家で寿司、夕飯は近所の「桃源門」という中国料理店で楽しく過ごしました。

妻は、両方の親に対していつも優しく接していました。その影響だと思うのですがこの当時も今も、子供達はおじいちゃんとおばあちゃんに暖かく接してくれています。

昨年末は、息子ファミリーと娘と一緒に、お泊りで「クリスマス会」を開催しました。年末年始は、娘とふたりで青森へ「父娘の旅」へ行ってきました。

いつも優しいのですが、この時、息子ファミリーと娘たちが、私に対していつも以上に優しく親切に接してくれるので、とても驚きたいへん感激しました。
知らぬ間に、あの頃のおじいちゃん・おばあちゃんのポジションに自分もなってしまったのかと思うと驚きです。諸行無常による悲しさと喜びを体感しました。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

今年もよろしくお願いします。

・次回の家族日記は

 〈聞き上手な妻〉

を2022年1月12日(水)に予定しています。