がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第28話 もう一人の主治医

〈がん患者の家族の体験記〉

2021年11月22日です。今日は、2013年1月を振り返ってみました。

このBLOGは、2010年~2019年までの9年間、横行結腸がん・卵巣転移・腹膜播種・肝臓転移・腸閉塞でも前向きに生き抜いた妻と家族の日記です。

その当時に書いた日記を読み返しながら、患者家族の当時の気持ちを書いてみました。

 

2013年1月5日(土)の日記

・J大付属病院に行き12月27日に実施したCT検査の結果を聞いた。がんマーカー検査の結果を含め、再発も転移もしていないとのことで、大いに安心した。飛び上がりたい気持ちである。

・M先生の口からこの言葉を聞くまでの時間の何と不安なことか・・・

・3か月ごとにCT検査を行う予定なので “平常心” を持てるようにならないといけないと思う。そう思う新年である。

 

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自宅近くにある “水天宮”

 

〈2013年の1月

山中湖にある会社の保養所に家族全員で行き、年末年始を過ごすのが恒例行事でした。この年も雪化粧をした富士山に家族の無事を祈願してきました。

J大付属病院のM先生は、2012年9月から抗がん剤治療を受けている主治医です。M先生の素晴らしいところは、患者と患者家族に寄り添ってくれるところです。妻の言葉に耳を傾け、抗がん剤治療の副作用を軽くするための工夫や処置をしてくれました。それだけでなく、私たちが再発転移を防ぐために、抗がん剤治療だけでなく川越にあるO三敬病院O先生の漢方薬治療を受けたいと申し出た時には、これまでの病状や治療内容などを用意してくれました。

これまでに私たち夫婦が参加した「がん患者や患者家族が集まる会」で耳にしたことは、 治療中に他の病院に行くことはあり得ないことであり、抗がん剤治療の中止を申し出たら来院を断られたという様な話でした。
このような話を何度か聞いていたので、M先生の対応にはとても感謝しました。

M先生と私は、妻のことを何度も話し合いました。ある時「医者は患者さんから痛みや病気を取り除くためにいる」とM先生は言っていました。そんな考えの先生だからO先生の漢方薬治療も賛成してくれたのだと思います。

 

〈当時77歳の消化器外科医師〉 

1月7日(月)に、M先生から預かった資料を持って川越市にあるO三敬病院を訪ねました。O先生は、文京区にある大学病院で食道がんの医師として活躍された医師です。西洋医学の標準治療だけでは、再発や転移を防ぎ切れないと東洋医学を取り入れたことで有名な先生でした。私たちも本でO先生の存在を知りました。

横行結腸がんが播種によって卵巣に転移した我々にとっては、もし更なる転移があっても手術はできず、副作用の強い抗がん剤治療しか残された方法はないという思いから、転移に対する不安はとても大きなものでした。

診察室に入ると優しそうなO先生が立って迎えてくれました。事前にM先生の用意してくれた資料を読んでくれている様子で、妻の方に向かって座り話をじっくりと聞いてくれました。PCなどは一切見ません。十分な問診と触診をしたあとで「大丈夫。打ち手はたくさんあります。一緒にがんばりましょう」と言ったことを覚えています。そして立ち上がって私たちを診察室から見送ってくれました。
この言葉を聞いて涙が出ました。希望が持てました。病状は何も変わっていないのに帰りのふたりは、気持ちが楽になっていたように記憶しています。

早々にJ大付属病院のM先生には、O三敬病院での診察内容と処方された漢方薬の内容を伝えました。この日から「4人の家族チーム」と「M先生とO先生の医療チーム」が連携して過ごすようになりました。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

 次回の家族日記は
 〈A型インフルエンザ〉

を11月28日(日)に予定しています。