第26話 安心と不安の日々
〈がん患者の家族の体験記〉
2021年11月13日です。今日は、2012年11月を振り返ってみました。
このBLOGは、2010年~2019年までの9年間、横行結腸がん・卵巣転移・腹膜播種・肝臓転移・腸閉塞でも前向きに生き抜いた妻と家族の日記です。
その当時に書いた日記を読み返しながら、患者家族の当時の気持ちを書いてみました。
2012年11月17日(土)の日記
・卵巣転移の手術から107日目。
・J大付属練馬病院へ行く。11/2~11/4に実施した抗がん剤治療から2週間が経過した時点での診察だ。白血球が2400と低下していたため、12/1に再度診察をして、第3回目の抗がん剤治療の日程を決めることになった。
・帰りの車の中でママが、「転移する気がしない」「抗がん剤治療の間隔が空くと1クールの終了は半年を過ぎる」「抗がん剤治療中の遠くへの旅行は不安だ」などと言っていた。
※ 遠くへの旅行:妻から「来年になったら旅行に行こう」と言われ、オーストラリア
が候補地にあがっていました。(10月29日の日記より)
〈2012年の11月〉
この頃の日記を読み返すと、抗がん剤治療を中心に不安と安心が交互に押し寄せる時期だったことが思い出されます。不安のひとつには、抗がん剤治療ができない事への不安です。治療前の血液検査の結果で、白血球の数値が低いと治療は延期となります。延期するとがんが大きくなるような気がして不安が増します。
ふたつめの不安は、治療後の副作用です。妻は、指先にしびれがでたり吐き気がしたりの副作用に悩まされ、その症状が長く続くのではないかと不安になりました。
抗がん剤治療が無事にできて、副作用も治まって退院できると安心します。
その繰り返しだったように思います。
妻は辛さを私たち家族にほとんど言いませんでした。言ったところで治るものではないと思っていたのか、とにかく辛抱強い人でした。
心配性の私です。妻は、自分自身の言葉に私が心配をして、過剰に反応すると思っていたのかもしれません。私は患者の家族として、一生懸命に行動していたつもりですが、その行動が患者本人である妻の心の負担になっていたのかもしれません。
〈紙の裏と表〉
紙の裏と表を決めるのは、自分自身ではないかと思います。
折り紙サイズの小さな紙があり、片面は白色でもう片面は黒色とします。
幸せを感じた1日を過ごせた日は、白い面が見える様にリビングの壁に貼ります。
幸せを感じることができなかった日は、黒い面が見える様にリビングの壁に貼ります。1年の終わりにリビングの壁を見た時に、白色が多ければ “幸せをたくさん感じた1年” ということになります。一生も同じです。
残念ながら出来事の中には幸せを感じにくい出来事もあります。
しかし、その出来事の受け止め方次第で、幸せと感じることができる様な気もします。エレナ・ポーターさん著の「少女ポリアンナ」の影響かもしれませんが・・・
妻のがんという病気は、歓迎できない出来事です。しかし、この頃の日記を振り返ると不安と不安と少しの安心、そしてまた不安・・・を繰り返す日々でした。
この様な日々を過ごしながらも、家族がワンチームとなって過ごしていた時間は
“幸せを感じる時間”
であった様にも思います。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
次回の家族日記は
〈著名人のがん報道〉
を11月17日(水)に予定しています。