がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第17話 初めて暮らした家

〈がん患者の家族の体験記〉

2021年10月13日です。今日は2012年2月を振り返ってみました。

このBLOGは2010年から19年迄の9年間、横行結腸がん・卵巣転移・腹膜播種・肝臓転移・腸閉塞でも前向きに生き抜いた妻と家族の日記です。

その当時に書いた日記を読み返しながら、患者家族の当時の気持ちを書いてみました。

 

2012年2月18日(土)の日記

・ママとJRが企画する「駅からハイキング&ウォーキング」に参加した。今日の行先は埼玉県の戸田だ。

戸田公園駅の近くに、新婚当時にはじめて暮らしたアパートがあった。
とても懐かしく感動した。

 

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結婚してはじめて暮らしたアパート(戸田公園


〈2012年の2月

大腸がんの手術から1年2ケ月目を迎えた頃でした。息子はスノボ合宿に行き、娘は妻と一緒にバレンタインのチョコパイづくりをしたりして過ごしていました。
私と妻は、西武鉄道やJRが企画する “駅から散歩” に参加するようになっていました。2月18日のJR散歩では、結婚した1988年から清瀬市に引越をした1990年までの2年間、はじめて2人で暮らした街の戸田公園を訪ねました。とても懐かしく思いました。

〈十人十色、千変万化〉 

2月4日は、仲の良かった中学時代の仲間との飲み会でした。年1回のこの集まりには男女あわせて10人位の同級生が集まります。この日は5人の参加でした。 
工学部から文学部へ学部を変更した息子を持つ友、52歳にして転職をした友、重い病気を抱える長女の看病に加え、次女の入院と義母との同居をすることになった友、乳がんが発見されたピアノ教師の友。人はみな何かを抱えて過ごしているのだと思います。まさに “十人十色” だと思います。

4ケ月後の6月に「卵巣への転移」が見つかる我が家の2月は、時間が静かに流れ “平穏な毎日” を過ごしていました。しかし、再び緊張した日々を迎えることになります。まさに “千変万化” だと思います。

人間は、人によって背負っているものも違い、それに対する考え方も違います。まさに十人十色だと思います。
また、同じ人でも時の流れや環境の変化によって、背負っているものや考え方が変化することがあると思います。まさに千変万化だと思います。

困難に直面しても、「自分だけではないんだな」とか「この状態が永遠に続くわけではないんだな」と思うようにして前進していきたいと思います。

                                 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

 次回の家族日記は
 〈病院はいつも二人で〉

を10月16日(土)に予定しています。