第4話 病院の年末年始
〈がん患者の家族の体験記〉
横行結腸がん・卵巣転移・腹膜播種・肝臓転移・腸閉塞でも前向きに生き抜いた妻。
これは、病気の妻と一緒に過ごした9年間の「がん患者の家族日記」です。
当時の日記を読み返しながら、患者家族である当時の気持ちを書いてみました。
2011年1月3日(月)の日記
三が日の昼食と夕食は、病院の食堂でママと一緒にお弁当を食べた。入院した12月3日から手術日の12月15日までは水も口にすることができず、手術後数日してから水を飲めるようになり、年末になって重湯を口にすることができた。
食べること、排出すること、眠ること等、あたり前のことが普通にできるということは、何とも幸せなことである。普通のこと、あたり前のことを、いつも通りにできるということは有難いことで幸せなことだ。
〈どこにでもある三ツ星レストラン〉
私の勤務先は宅配会社で、葉山と山中湖に保養所はありました。GWは葉山保養所、年末年始は山中湖保養所で過ごすのが家族の楽しみでした。そんな訳で、我がファミリーにとっては病院でのお正月は初体験でした。
病院には小さな食堂兼面会ルームのような場所があり、三が日の昼と夜の食事は、病院の用意してくれた食べ物と持参したコンビニ弁当を、人気のないその食堂で一緒に食べたことを記憶しています。
どこで食べても、何を食べても、ノンアルでも、家族で食べれば「なんでも旨い!」
そう思いました。これに “空腹” という要素が加われば、最高級の食事だと思います。
〈素敵な仲間に囲まれて〉
病理検査の結果説明の「原発部分とリンパ節を結ぶ管に一つだけあった転移」という言葉だけは気になりましたが、少しづつ回復し笑顔が増えてきた妻を見ていると気持ちが落ち着いてきた頃でした。
以前、夫婦で観た「佐賀のがばいばあちゃん」という映画で「本当の親切はわからない様にするもんだ」と、おばあちゃんが主人公の少年に言う場面がありました。
妻の容体を気遣ってお見舞いを控えてくれている方々、病院に来る私の仕事をフォローしてくれている方々、自宅で奮闘する父子に食事を差し入れてくれる方々、退院後の日常生活のサポートをしてくれる方々など、そっと優しい親切に、たくさん出会うことができました。
先輩や年長者の方から言われ、本などでもしばしば目にしてきた「人は一人ではない。多くの人に支えられている。」という趣旨の言葉ですが、私などは聞いたり見たりした回数と同じくらいの回数を、聞き流し見逃してきたのだと思います。
しかし、この頃はこの言葉が身体の中に浸み込んできました。更にこの後も、益々浸透することになりました。そのことをとてもしっかりと覚えています。
突然の驚きから日常へ戻りつつある2010年から11年の年末年始でした。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
次回の家族日記は
〈退院後の日々〉
を14日(土)に予定しています。