がん患者の家族日記

腹膜播種の妻と過ごした体験談

第100話 腸閉塞

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2019年1月の日記を読み返してみました。

 

2019年1月23日(水)の日記

・いつもの通り目が覚め、ママと一緒にパンを食べた。ここまでは良かった。ゴミ捨ての準備などをして会社へ出かける頃、ママはソファで小さく丸まっていた。
・会社について様子を聞くために電話をすると腹痛とのこと。急いで帰宅した。
訪問看護師のSさんと訪問診療のT先生が来てくれた。腸閉そくの治療をした。
・ママは何度か嘔吐しつらそうである。

最期となったお正月

〈2019年の1

新しい年を迎えてひと月が過ぎようとしていました。以前の職場は都内でしたが、この頃は自宅から車で15分程の所にある職場に異動して「介護時短社員」として働く環境にありました。
1月23日こそ、異動の判断をしたことを良かったと思いました。
看護師のSさんが訪問してくれることで少しづつですが不安が減少して精神的に落ち着くことができました。様子をみながら少しづつ食事ができる様になりました。

〈台所の灯り

心配の日々が何日も続きました。ミキサーにかけたスープから始まり消化の良い食材をさらに細かく刻んで調理したおかずを少しづつ口にする様になりました。今思い出すと私も食べることを控えていた様に記憶しています。食べることのできない状態にある妻の前では食べられませんでした。

1月31日、会社からの帰り道。角を曲がると我が家が見えます。真っ暗な中、我が家の台所に明かりがついていました。妻が台所にいるということです。

私は幸せを感じました。

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第101話は

 〈夫婦〉

を2022年8月10日(水)を予定しています。

第99話 ラストクリスマス

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2018年12月の日記を読み返してみました。

 

2018年12月25日(火)の日記

・今日はクリスマス。今日という日を何とか過ごすことができた。
・今朝、サンタクロースからプレゼントが届いた。『いつもと同じ朝』という最高の贈り物だ。
・これほど素晴らしい贈り物はない。うれしい。
・サンタクロースさん、ありがとう。

出窓に飾ったミニツリー



〈2018年の12

クリスマスの数日前のことです。会社から帰ると妻の元気がありませんでした。ソファに座る妻の足をマッサージしながら話を聞くと「残念だけど体調は悪化していて、不安な気持ちで一杯だ」とのこと。そして「もっと生きていたい」と涙を流しながら話してくれました。

私は妻の足をさすりながら何も言えず、ただ一緒に涙を流していました。

〈クリスマスの贈り物

24日のクリスマスイブは、私は赤ワインで妻はトマトジュースで乾杯しました。そして25日のクリスマスを迎えました。私が21歳で妻が19歳の時に出会ったふたりにとって37回目のクリスマスです。

最期となったクリスマスもふたりで仲良く過ごすことができました。

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第100話は

 〈腸閉塞〉

を2022年8月6日(土)を予定しています。

第98話 夜中の血便

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2018年11月の日記を読み返してみました。

 

2018年11月11日(日)の日記

・夜中の00:30、ママ血便。01:30、同様に血便。
・夜が明けて06:00、通常便に戻る。とても心配だ。
・心を落ち着けて考え行動しよう。  (11月12日06:20著)

 

お土産に焼き鳥を買った駅近くのお店

 

〈2018年の11

お弁当や総菜、ホットプレートの簡単料理、焼き鳥屋さんのお土産を一緒に食べる日々が続いていました。そして週に3回は、先生や看護師さんが訪問してくれました。11日の夜中、血便があり驚きました。私は不安な気持ちで一杯でした。しかし、私より妻の方が不安であるわけですから、私は精一杯の落ち着いたふりをしていた記憶があります。

翌日、看護師さんが訪問してくれました。私は昨夜の血便の写真をお見せしたり、最近の食事内容や過ごし方などについてお伝えしました。看護師さんは訪問診療をしていただいているT先生と電話で相談をして、経過観察をすることとなりました。

妻の体調不良は数日続き、昼間もソファで横になっていました。こんな時私は妻に向かって「大丈夫?」と声をかけそうになりますが、体調不良の時は、その様な言葉は口にしないで、ただ静かに寄添っているだけでした。それで精一杯でした。

〈普通であることの幸せ

元気な時は、トキメキを感じる様な事があると「幸せだ」と思い、何もないと物足りなく思ってしまうことが少なくありません。しかし、病気になると辛い症状のない普通の状態を「幸せだ」と思います。

よく聞く言葉に「一期一会」があります。自分の目の前にいる人との出会いを、一生に一度の出会いだと考えて接しなさいという教えの言葉だと思います。私は毎朝、目を覚まして思うことがあります。今日も目が覚めて良かったと・・・自分の目の前にいる自分との出会いも奇跡なのだと思います。

病気の妻と暮らしながら、ふたりで朝を迎えられることに心から感謝していました。

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第99話は

 〈ラストクリスマス

を2022年8月3日(水)を予定しています。

第97話 近くへドライブ

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2018年10月の日記を読み返してみました。

 

2018年10月14日(日)の日記

・ママと車でN宅へ向かいMくん家族とランチに行った。退院後、初めての遠出だ。
・Mくんは生まれて2ヶ月が過ぎ6㎏近くになる。とってもかわいい。ママもMくんと楽しそうにお話をしている。良かったと思う。
・Mくんをママに合わせてくれたIちゃん、Nに感謝。
・帰りの車の中では、楽しかった分くたびれた様子だったが良かったと思う。

 ※ Mくん:初孫のこと。 Iちゃん:息子のお嫁さんのこと。 N:息子のこと。

時々訪ねた自宅近くのお蕎麦屋さん

〈2018年の10

7月15日に始まった自宅での生活も3か月が過ぎました。オムツを利用するようになり訪問看護と訪問診療を受ける生活は、夏から秋に季節は移りました。
家の外へ出ることがめっきりなくなっていたのですが、孫に会うために車で1時間位の場所に住む息子家族の家を訪ねました。久しぶりのドライブです。妻は息子たち家族が幸せそうに暮らしているのを感じて安心したことだと思います。そして幸せな気持ちになれたことと思います。

私は息子とお嫁さんと孫と大自然に対して感謝しています。おかげさまで妻はかわいい孫と逢うことができました。そして抱きしめることができました。

〈前向きな妻

自宅での新生活では、食事は私が用意する様になりました。と言っても、弁当を買ってきたりする程度の内容でした。ある日のこと、台所に長い時間立つのがつらい妻は「小さめのホットプレートを買ってきて」と私に言いました。
この日から食卓に座り、妻のアドバイスを受けながらホットプレートで調理した料理を一緒に楽しく食べることができました。

以前は散歩をしながら訪ねた自宅近くのお蕎麦屋さんへも車で出かけました。
妻はできなくなったことを嘆くのではなくて、できることを無理せずに挑戦していました。料理をはじめとする家事や自分自身の楽しみの見つけ方など。私は妻からたくさんのことを学びました。子供達も同じ様に感じていたと思います。

妻は、私たちに言葉ではなくて行動でメッセージを伝えてくれたのでしょう。7月27日は、妻の3回目の命日です。そんな妻に伝えたい言葉があります。

『ありがとう』

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第98話は

 〈夜中の血便〉

を2022年7月30日(土)を予定しています。

第96話 幸せは感じるもの

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2018年9月の日記を読み返してみました。

 

2018年9月21日(金)の日記

・短時間勤務を終えて帰宅する。
・玄関で「ただいま~」と言うと、奥の和室からハリのある声で「おかえり~」。
・こんなちょっとしたやりとりが嬉しくてありがたい。回復してきている証である。
・幸せってのは、こんなことなのだと思う。
・できなくなったことを悔やむのではなく、できることでたくさん楽しもうと思う。

ハート形の石がある河原の石垣(長崎 眼鏡橋付近)

〈2018年の9

9月18日は、妻の56歳の誕生日でした。ふたりで誕生日を祝いました。大切に思う人と節目の行事を迎えられることは、とても幸せな事だと思います。お正月、大晦日、誕生日、結婚や出産などの共通の記念日を迎えたり桜などの季節の花を一緒に見ることは幸せです。

9月20日は、退院してから初めてのJ大付属練馬病院の診察でした。いくつかの検査を実施しましたが異常な数値はなく留置したステントも機能しているとの結果でした。前向きな妻に主治医のM先生は驚いていました。やはり妻はすごい人だと思いました。

9月30日には、息子夫婦が8月に生まれた孫を連れて我が家に来てくれました。私は出産した病院で一度会っていましたが、妻はこの日が初めての対面でした。妻が孫を抱く姿を見て感動しました。そして、この喜びが長く続くことを祈りました。

〈今も感じる幸せ

私はあたりまえに明日が来ると思い、自分自身の残された時間を意識して暮らすことはありませんでした。しかし、妻が病気になってからは〈与えられた時間〉から〈生きてきた時間〉を差引いた〈残された時間〉をありがたい明日と思う様になりました。ふたりで幸せに過ごしたい、大切に過ごしたい、そう思いました。

「幸せは、なるものではなく感じるもの」

そんな風に思います。長くまっすぐな道の先に幸せの花畑があって、そこに行くことが幸せだとすると、残された時間の少ない人は幸せになれないことになります。大切な人と一緒に花畑に向かって歩き続け、たとえ花畑に行きつくことができなくても、足元に咲いているタンポポなどの草木をみて、一緒に「きれいだね」と会話をすることができたら、たぶんそれは幸せなのだと思います。

今も誰もいない家に帰った時に「ただいま~」と言って家に入ります。奥から「おかえり~」という声を聞きながら・・・

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第97話は

 〈近くへドライブ〉

を2022年7月27日(水)を予定しています。

第95話 妻の疑問

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2018年8月の日記を読み返してみました。

 

2018年8月3日(金)の日記

・7月15日に退院してから19日目。
・ママから「わたし、退院してから元気になっているのかしら?」と聞かれた。間違いなく元気になっていると思う。ゆっくりではあるが確実に良くなっている。
・この様な質問をするのは、もっと速いスピードで回復するのだと思っていたのに、変化が少ないので不安を抱いているのかもしれない。
・不安を解消できる様に寄添っていこうと思う。

家族で訪ねた秘湯の湯(2014年8月 長野にて)

〈2018年の8

腸に4本のステントを留置したことで、腹膜内の腫瘍を刺激せずに腸閉塞の状態を取り除くことができました。しかし腸内に便を溜める働きが低下して自分の意志で排便することが困難な状態になりました。私たちの日々の暮らし方は変わりました。変化した生活が私たちにとっての “普通の生活” と思う様にして暮らす努力をしました。
オムツを購入したり介護ベットをレンタルしたりして過ごす8月でした。

妻のことを心配して息子や娘が我が家を訪ねてくれました。妻は喜んでいました。息子からタブレットをプレゼントされラインをしたり映画を見たり、楽しみを増やすことができたのではないでしょうか。

また16日に息子夫婦に子供が生まれました。私たち夫婦にとっては、とってもうれしい出来事でした。

〈緩和ケア病院の面談

私たちの住む街には、緩和ケア病院が4つあります。以前のことですが、参加していた患者会から教えていただき合同見学会に参加したことがありました。私は妻が選んだその中のひとつの病院に、この8月に面談と申込みに行きました。

妻は自分の病状の回復を疑問に思い、どう変化していくのか不安を感じていたのだと思います。そして、どういう治療をしたら良いのかを考えていたのだと思います。

妻は私に迷惑をかけたくないと考えていた様ですが、私は何一つ迷惑だと感じたことはなく、少しでも長く一緒に暮らしたいと思い行動しているつもりでした。しかし、私の言動が妻の心の負担になっていたのかもしれません。

この頃の妻の気持ちを思い出すと心が苦しくなります。病気の妻に余計な気遣いをさせたことを当時も今も猛省しています。

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第96話は

 〈幸せは感じるもの〉

を2022年7月23日(土)を予定しています。

第94話 妻の退院

〈がん患者の家族の体験記〉

このBLOGは、がん患者の家族の回想録です。2010年~2019年までの9年間、大腸がん(横行結腸)・卵巣への転移・腹膜播種・肝臓への転移・腸閉塞でも、とても前向きに生き抜いた妻。患者家族である私が、その当時に書いた日記をもう一度読み返し当時の患者家族の気持ちを振返ってみました。

今日は、2018年7月の日記を読み返してみました。

 

2018年7月15日(日)の日記

・ママが退院した。大腸の閉塞は解消することができて良かった。しかし、発熱と排便障害という課題は残った。腫瘍の存在は変わらない。
人工肛門の装着は開腹が必要で、開腹は腫瘍が増えるリスクがあった。
・ステント4本の留置は、便を留めたり出したりする働きを低下させてしまった。
・生活の質は低下するが、命があることに感謝だ。

退院前日の畑のトマト




〈2018年の7

妻は20日間の入院生活を送り真夏の日曜日に退院しました。この間に2度、ステントを留置する手術を受けました。人工肛門も考えたのですが、開腹せずに腸の閉塞を取り除く効果を期待してステントの留置治療を選びました。

1回目の手術で1カ所に2本。留置後の状況から判断して更に2カ所に1本づつ。合計で3カ所に4本のステントを留置しました。排泄物が通るスペースは確保できましたが腸の働きのひとつである便を留める働きができない部分が4カ所できたことになり、自分の意志による排便が困難になりました。

自分の意志で “口から食べる” ことができて、自分の意志で “肛門から出す” という行為は「あたりまえ」の出来事ではなくて「ありがたい」出来事なのだと思います。

命があることに感謝して、自宅での生活が始まりました。

訪問看護と訪問診療

退院してからの生活パターンは変化しました。寝床は2階から1階になりました。週に3回はH訪問看護ステーションの看護師さんが来てくれました。2週に1回はN診療所のT先生が往診にきてくれました。H訪問看護ステーションとT先生は、妻が参加していた患者会の関係者で当時から信頼していました。J大付属練馬病院のM先生の経過観察は継続され、看護師さんとT先生とM先生は連携してくれました。

妻は自分自身で支えてくれる人々と出会っていたのです。素晴らしいと思います。

                               

お読みいただきまして、ありがとうございます。

・次回の家族日記/第95話は

 〈妻の疑問〉

を2022年7月20日(水)を予定しています。